薄曇り

 昨晩、気になることを調べていていささか就寝時間が遅れ、おかげで寝坊した。ああ、そのわりに深夜の暴風の音を聞いていたから眠りは浅かったか。明け方、ぼんやりとふつふつとわいてくる記憶を見ていた。母親の実家の縁側の籐椅子を思い出した。不思議な気がした。いろんなものが記憶に埋まっているのか。ときおり、嗅覚と連想されて不思議な思い出が蘇ることはある。なんのために記憶を溜め込み、そしてそれを放出してこの世を去っていかなくてはならないのだろう。とか、人生モードで考えると、つい「愛」とも連想する。愛も、長く生きてくるとというか50歳も超えると、一つには記憶になる。別の面では、ああ、愛とはこういうものであったかと思うこともある。▼世間は連休になるらしい、ということは明日も休日か。お彼岸である。和菓子にはお萩(ぼた餅)が売っていて、好みの胡桃餡を買った。美味しいなと思う。魚屋によって少しばかり背徳の思いを隠しながらマグロの大トロの刺身を買う。クロマグロだろうか。そしてこれはそれほど上等ではないので、筋もありいわゆる脂肪のドロ感もある。でも、うまいにはうまいな。▼昨晩のツイッターで「言霊なんてないんじゃないかな」とつぶやいたところ、反発というのでもないけど、そんなぁ感のレスをもらった。私はなんとなく、いちおうそういうルールの演技はしているけど、個人的にはないんじゃないかなと思うものがいっぱいある。困ったことに「神は存在しますか?」と聞かれたら「ないんじゃないかな」と答えてしまう。そう思っている。信仰は?というとそれもない。ただ、そう言うことでトリッキーな誤解になるだろうし、そういうトリックに人を巻き込みかねないところがある。まあ、通じないよねとか思っているうちに、どうせ通じないんだから説明してもなあみたいな、まったりとした絶望感に浸されてしまう。似たようなつぶやきで、「性格がよくて頭のいいやつってろくな来世はないな」と言ったところ、そんな発想を初めて知ったというのがあった。もちろん、来世はない。ただの修辞にすぎない。で、なにを言いたいかといえば、幸福に上手に過ごした人生ではどうしても理解できないものが人生にはある。なんだろうとか思う。自分の不運や悪徳をどっかで弁護したいのかもしれな心理かもしれないが、そうとだけとも言えないなとは思う。