読売新聞 3月1日付 編集手帳 : 3月1日付

 社説のほうは特に無し。朝日ほどではないが心なき作文ということ。ふと天声人語を覗くがまいどのごとく後悔する。では、読売のコラムはと開けてみて、ちょっと驚いたので記しておきたい。

 琉球諸島にはヤドカリを人間の起源とみなす神話があるという。昔の世を「アマン(=ヤドカリ)ユー」すなわち「ヤドカリの世」と見た。ヤドカリが阿檀という木の実を食べて人間に生まれ変わった、と◆榎本好宏さんの『季語語源成り立ち辞典』(平凡社)に教わった知識だが、天災に接するたびにこの神話が胸をよぎる。

 私はヤドカリのいる海辺で8年近く暮らしたがそんな話は聞いたことがない。気になって、ネイティブに聞いたら知らんねと言っていたから、ナイチャーの無知というほどのことでもないもないだろう。
 この榎本好宏さんの話だが嘘だとも思えないし、そういえばとあたってみると、「琉球民俗の底流」(参照)にもある。ただし、八重山奄美で本島の伝説ではないようだ。
 ちなみに現地で暮らして年寄りなどから聞いて覚えたことだが、ヤドカリは「アーマン」と言っていた。記憶がたしかではないが、「アーマンチュ」もあったように思う。語感では、「海の者」みたいなことであった。しかし、海の者は、ウミンチュである。「アマ」は奄美の語源やアマミキョも連想されるのでいろいろ思うことはある。特に信念を持っているわけではないが、ヤマトの天皇家の実質の姓は、「アマ」であろう。ただ、中国的な意味での姓とも違うだろうとは思うが。
 外間守善の考察ではアマミキョの伝説は奄美の側から下りてきて、本島へは玉城あたりから入ったようでもある。日本の民俗学の通説では沖縄の土着信仰は南方起源するようだが、私はこれは内地から入ったのではないかと思っている。ただ、そういうことで沖縄のナショナリズム的なものへの批判のように聞こえるのもなんだかなとは思うが。