曇り

 残暑という感じだ。寝汗をかいて目覚め、窓を開けると夏の終わりの朝の風が吹き込む。夢はいろいろ見たが思い出せない。昨日ぼんやりと散歩しながら、この世界に存在することを旅のようにふと思う。私の直接の知り合いではないが、関係ある同年ほどの人が亡くなったと聞いた。まだお若いのにと思った。お子さんは高校生くらいらしい。事故ではなく癌だったそうだ。まわりの人もみな覚悟があっただろうし、本人にもあっただろう。書架にある頼藤和寛の「わたし、ガンです ある精神科医の耐病記 (文春新書)」のあとがきを見ると、

ま、とにかく、五十三歳の誕生日も二十一世紀も迎えられたし、本書を仕上げることもできた。この調子でいけば銀婚式も済ませることができるだろう。健康だったころは当たり前のように過ごしていた一日一にをありがたいものに感じる。

 とあり、静かな嗚咽感というか、胃をぐっと持ち上げるような感覚がある。
 最近はてなダイアリーは「ブログ」ということになった。そうかブログか。このブログとあのブログにはいろいろ書いてきた。が、私の実人生というか普通に見える部分についてはその捨象した内側からしか書いていない。私はさして内実のある人間でもないし、若いころ思ったほど聡明な人間でもなかった。不運だなと嘆くこともあるが、世を公平に見るなら神の恵みは十分すぎる。さて、すぎる部分の責務を果たしてきただろうか。人は自身を超越するものを愛することで義たらんとする。国を愛する、世界を愛する、平和を愛する、自然を愛する。しかしシニックにならなくても、自然に生きるならそこに欺瞞を覚えるだろう、というか、そこに欺瞞を覚えて小さな自分をかかえるのが自然な生き方だろうと思う。その抱えた部分を書いてきたような書いてないような奇妙な困惑を感じる。
 アルファブロガー切隊さんがブログのシーンで童貞宣言から結婚そして出産をさらさらと描き、ブログもトゥルーマン・ショーのようにも思えるし、それはメディアの種類や速度の変化であって、昭和の私小説も同じようなものかもしれないし、SNSというのもトゥルーマン・ショーのようなものだろうか。
 1981年に私は学部を終え、なんとなくその後も大学に残った。学問が好きだったかといえばそうかもしれないが、私を捉えていたなにかは学の形をしていなかったし、私もまたそれに見合う才能も習性もなかった。世を恐れていたかもしれないし、そういえば、あのころ、ある年上の女性に大学なんて腐ったところにいるんじゃないのと言われた。まあ、そうかもしれないし、そうでもないのかもしれないが、その気持ちはわかった。北海道出身のさばっとした美人で外国人の恋人ができたばかりだった。彼女は30歳を越えたくらいだったろうか。ふと思い出す。1981年に私もある人生を選べば、その年の子を持っていたかもしれない(いや中絶したということは幸いにしてないというか、私も童貞を守るの類の人生に近い)。先日、スイエンサーというNHKの番組を見て、女子高生が出てくるのだが、化粧というかメイクのせいか、顔に個性が感じられない。俺も年だなと思ったが、その後、若い子に聞いたら、そうですよわからないですよ何か?と言われ、困惑した。定期的な歯のクリーニングで歯科医に行き、待合室で雑誌を見、そこに出てくる女性の年を見ると、1981年生まれはもう28歳か。沖縄でたまにバスで乗り合わせた高校生の女の子に一昨年沖縄であったが30歳になっていた。
 時を思うと眼前に嵐が吹くように思えることがある。そして火があっても、そこに神はいないのだろう。