本当においしい物と、普通においしい物と、お料理された物

 本当においしい物と、普通においしい物と、お料理された物、と分けたら、たぶんカテゴリーエラーだろうと思う。わかってる。
 私は本当においしい物はそれほど食べたくない。なんか哀しくなるから。というか、おまえなんか本当においしい物なんて食べたことないだろと言われるなら、それでもいいかなと思う。別になにか自慢したいわけの修辞でもない。本当においしい物はなんかの事故みたいに会って、そして同じ物は二度と食べられない。
 世の中の食い物は普通においしければいいと思う。どの国の庶民でもそこの普通の食材で普通に料理して普通においしかったらそれでいいし、人の好みっていうのもあるのだろう。
 だから、お料理というのは、普通においしければそれで終わりでいいじゃないか。でも、たぶん、そうはいかなくて、どこなくそれを介したコミュニケーションであったりする。あるいは芸術? まあ、めんどくさいもの。それをめんどくさいって言っちゃだめなんだろうな。はい。
 転居すると、魚屋とパン屋と豆腐屋を探す。魚屋が見つかると、まあ、おいしい物には事欠かない。パン屋は諦めたので自分で作ることにしたけど、見つかった。自分で作るのが嫌になるくらいおいしい。不幸だ。豆腐屋は満足するところがない。見つかることなんてないんじゃないか。国産大豆とか、うるさいこと言わなくていいよ。
 蕎麦屋のうるさいのが大嫌いだ。凝るんじゃねーとか思う。手打ち蕎麦なんか食いたくもない。機械打ちがいい。そば粉もめんどくさいのはいやだ。もちろん、極上みたいのがあるのも知っているけど、いいよ、金持ちが食えよ。いらね。
 でも、うまい蕎麦屋をめっけた。すごい爺さんだった。爺さんが死んだら蕎麦屋終わりかな。昼の時間を少し遅れるとぎっちり貧乏人で混んでいて、煙が充満している。タバコの臭いが苦手だけど、いいよ。それでいい。また別の時に来るよ。
 うまい肉屋がめっかった。肉屋もプロになると違うもんだなという肉を売っていた。高くない。それでいいのかと思うが私がどうこういうたぐいのことじゃない。おかげで焼き肉屋が遠くなった。肉は炭火焼きが旨いのだが、それより肉の質だよな。肉屋で肉買ってプレートで焼くかな。
 そして転居しづらくなり。町に埋もれていく。
 以前の町のはずれに、山菜の旨い飲み屋があった。女将が山菜を知り尽くしたような人だった。絶品のノビルを食ったことがある。板前はだんなかと思うが年が女将より若かった。川魚釣ったか仕入れたかすることがあった。焼いたのが出た。普通にうまかった。鮎や山女魚は塩焼きすれば、びっくりするほど旨いものだなと思った。店はもうない。女将は死んだんじゃないかな。
 和菓子屋は息子が継いでいた。ふつうにおいしい。町にお茶をする人が減れば、和菓子屋も経営できなくなるのではないかな。
 煎餅屋には跡継ぎはいない。煎餅なんて丁寧に作って売っても儲けもでないだろと思う。子どもはいなかったのか知らないが、店の由来をおかみさんに聞いたことがある。麻布十番辺りの店だったらしい。昔はお煎餅というのは花街に持っていく土産ものとして重宝されていたそうだ。花街なんてどこにあるのだろうと思った。ふとおかみさんとおやじの関係もなんかありそうな雰囲気がしたが、聞くわけにもいかないだろう。
 洋菓子屋ができた。すごいうまい。が、メディアでちやほやするタイプの店じゃないだろうなと思っていたが人気が出て大変そうだ。あまり新作は出ないけど、先日、かなり焼き込んだアップルパイが出た。めちゃくちゃうまかった。本当にうまいなこれと事故った感じ。りんごの皮は剥いてありませんよということだった。その後、あのアップルパイは見かけない。
 鮨屋も消えていた。休みが続いているなと思ったら店ごと消えた。まいったな。たいした腕のおやじさんだった。職人は無口なものだというが、その逆で、しゃべるしゃべるの人だった。自慢話もあるのだけど、なんか普通に自慢話というのか、嘘がなかった。この人、ほんと江戸前なんだなというか、ネタはたいてい仕事がされていた。小鰭ある?と聞くと、もう食べてもいいころかなと調べて出すという感じだった。
 絶品というのではなかったし、しゃりは少し多めだったようだが、私が子どものころ食った寿司はこんなだったなと思った。高いネタもあったが、それで勝負しているふうはなかった。病気持っていたんじゃないかな。おかみさんが年上みたいだったな、あそこも。