「純愛が好きってことですね」、あーそれは違うが(大人毛ない話の続き)
ブコメに反応するのだが⇒はてなブックマーク - 処女厨、あーそれはないな(大人毛ない話の続き) - finalventの日記
API 生活, 男女, 恋愛 「今の愛によって過去の愛なんかどうでもよくなるくらい愛するんだぁ!」>>過去を気にするのが処女厨の特徴です。言ってる事がやっぱり処女厨と大差ないですwまあ純愛が好きってことですね。
そう受け止めてもらっても、それはそれでご自由になのだが。
が、というのは、「純愛が好きってことですね」、ということでいうと、あーそれは違うが。
という話をついでなので補足。
というか、元エントリをAPIさんは読めてないか、finalventをとにかく「処女厨」にしたいという枠組みが死守したい前提にあるのかエントリを読んでないんじゃないかな。その逆のことを書いたのだけど。
じゃあ、その恋に恋する青年の私はどうなったかというと、ずたぼろになった。それでも処女を求めるみたいのはなかった。ずたぼろ後はどうなったかというと、ずたぼろ後なんてものがあるのかというとあるにはある。
ほいで、それから⇒そういえばと考えてみると人生観を決定づけた一冊の本としての「ソロモンの指環」 - finalventの日記
それと ⇒モテたいと思ったことはないな - finalventの日記
人間と限らずたいていの個体というのはそれほど性的に優位に立てるわけではないから、ほどほどと弱者戦略を立てるのではないか。そんな感じで、群のリプロダクションは均衡するようにできていると思うのだが、昨今の少子化とか見ていると、そうもいかないのかなと思う。
ロマンティック・イデオロギーみたいのは、ずたぼろに解体するのは必然だよ。だって、それはある時代と社会体制が人に植え付けたものであって、人はより種の性行動の枠組みを持っている、それに、たいていの個体は性的に優位に立てないから弱者戦略を立てるのだよということ。
APIさんは、動物行動学的な思考が苦手か、あるいは、むしろAPIさんが処女厨や純愛にこだわっている(批判せずにはおれないというこだわりかな)のでわからないのかもしれない。
街中をゆく男女を見てもわかるけど、みな凡庸なものだよ。そしてその凡庸さとメーティングの経済学的な均衡と種の性行動パターンの枠組みから、人間というのは逃れることができないのだから、ずたぼろになってもいいけど、それなりの最適解を生きるようになるように、そうなるように考えたらということなんだけど。