無益な殺生はするもんじゃない

 と、子どものころよく言われたものだった。
 誰に言われたのかよくわからないが、まあ、言われたものだった感はある。
 で、この言葉、いつからか聞かれなくなった。
 私が聞かなくなっただけかもしれないが。
 考えてみると、「無益な殺生はするもんじゃない」というシーンがなくなったな。
 害虫だから駆除しちゃえみたいな、「害虫だから」という正義に対して、命が大切とかじゃなくて、正義だからやっちゃえってするなよ、そいつらはそいつらで生きている世界があるんだよみたいな。「正義」の限界の感覚があった。
 いや、ちょっと、無益な炎上はするもんじゃないとも思ったのだけどね。
 無益な議論はするもんじゃないとは言えないだろうけどね。
 話戻して。
 歎異抄を読みながら、唯円が、百姓というか農民というのは、いや農民と限らず百姓か、は、必然的に殺生しなければならない、つらいのぉという感じがあって感慨深いものだった。
 中世の人々は殺生をしなければならないからこそ、というか、殺生が可視の生のプロセスだったからこそ、無益な殺生はするもんじゃないという感性があったのかな。

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歎異抄 (講談社学術文庫): 梅原 猛
 梅原さんの仏教理解はなんじゃ?と思うところあるけど、この歎異抄訳解は高校生のときから読んでいて愛着があるな。