ちょっと補足的

 ⇒日本列島の言語的多様性を守っていくために - Danas je lep dan.

また,「多くの若者たちが『方言』を話せるようになりたいと考えている」(p.46)が,「上の世代と『方言』で話したいという気持ちがあるものの,『方言』の敬語が正しく使えないために,[……]標準語(日本語)を使わざるをえない」(p.47)という現実があるということは盲点だった。

 そういう面もあるのだけど。
 上の世代がどこまでを指すのか曖昧だけど。
 一般的には、沖縄の戦中世代までは、皇民化教育が行き届いているので、きちんとした日本語が話せます(もちろん、外国語として習得しているので変な部分もあるけど)。なので、標準語(日本語)が通じる。
 米軍統治下時代では、ウチナーグチは微妙な位置に置かれ、1980年以降は、ごく普通にヤマトウチナーグチの世代になる。彼らはナイチャーと同じように、きちんとした日本語を話す割合が減る。
 あと、『方言』の敬語を正しく使う、というのは、王府の言葉を使うという意味合いがあり、身分差別的な言語装置でもあるのですよ。
 
追記
 ⇒ トービーラーと同じネタ!? - Nu_kamuiの日記

戦中世代までのきちんとした日本語話層とは、一体何を指すのか。

 そう概括してしまう前に、たぶん、Nu_kamuiさんの立ち位置というのがあって、おそらく相手からうちなーんちゅのわらばーと見られていたからではないかな。

ただ、この中でも例外だったのが、御殿家などの上流階級である。

 そこからグラデーションがありますよ。
 それと、皇民化教育を推進したのは結果的にウチナーンチュの教育組織で、そこでは、方言札ができるほどに内地語が話されていた。
 というのと、疑似的な「公」の場というのもがあり、それをNu_kamuiさんは考慮してないのではないかな。

> あと、『方言』の敬語を正しく使う、というのは、王府の言葉を使うという意味合いがあり、
宮里朝光氏ですらも、最早そんな時代錯誤なことは言わないし、首里クトゥバほど敬語の発達していない我々のシマクトゥバこそ焦点になっている。

 王府の言葉はつまり、首里クトゥバであり(チージの言葉もあるにはあるけど)、そして、それを使いこなせなくても、聞いてわかる、という状況がその身分制の名残として残っている。
 もひとつ、「敬語の発達していない我々のシマクトゥバ」というような均質な「我々のシマクトゥバ」はないと思う。地域ごとに微妙に言葉はずれていてその差異を互いに感じ取っていた。そしてその差異は、基本的に地域に区切られた(間切り)身分制的な名残があった。