ふーんというか

 ⇒マスクは結局、しなかった。:日経ビジネスオンライン

 でも、もしかして、どういうカタチであれ、公の場所で意見を言う人間は、いずれにしてもパラノイアに近い人々であるのかもしれない。
 とにかく、ウェブ上の言論が、近年、極論に傾きがちになってきていることは確かだと思う。
 20世紀のインターネットは、こんなふうではなかった。
 議論をする場合でも、ものの言い方が、もう少し柔らかかったように思う。
 まだニフティのフォーラムがウェブ言論の中心であった頃だから1995年以前ということになるが、その当時は、ネット上の議論は、今と比べて、ずっと礼儀正しかった。少なくとも表面上は。

 ともあれ、ネットの良さは、その多様性にある。
 だから、他人が自分と違う意見を持っていることについて、ネット内の人々は、比較的寛大であるはずなのだ。あるいは、せめて寛大なふりをすること(あるいはリベラルな態度を堅持すること)が、ネット上で議論をする上でのマナーであると、少なくとも私はそういうふうに思っていた。
 それが、様子が違ってきている。

 ブログも同様。
 私が巡回しているところでも、コメント欄を閉じてしまったり、会員制の運営に変えたところが相当数ある。
 公道上の無料店舗は、一番お行儀の悪い人のマナーで標準化されることになる。であるから、流行っているブログほど品の無い客を排除しにくくなる。
 ウェブは(少なくともブログのコメント欄は)いつの頃からか、雑談を楽しんだり、多様な意見を読むための場所ではなくなって、異論を排除するための装置みたいなことになってしまっている。