曇り

 天気図を見ると低気圧が6つくらいある。午後は雨だろうか。夢は覚えていない。未明あたりにしばし覚醒して、そして自分が誰でそこがどこだか失念していた。若い頃はよくそういうことがあった。意識だけが覚醒して記憶は眠っているようだった。脳のなかで記憶を探ろう、私が誰であるかを思い出そうとする反面、いやこれでよい、もう私は私を想起しなくてよいという意識が起きた。そしてまた眠ったようだった。
 目がさめてからしばらく、アーレントの思想を考えていた。夢の連続ではないのだろうが、自分のアーレント理解が間違っていることに気がついていた。2点。世界観政党よりも現実の利害の政争でよいのだということと、プライベートの両義性、あるいはプライベートは非政治的であること。このあたりの整理は、自分では吉本・マルクスヘーゲルの線の枠組みで考え過ぎていたなと思う。
 アーレントの思想は巧妙にアダム・スミスなども継承しているようで、そのあたりの政治学を整理したい気持ちはある。ただ、彼女のルソー理解は比較的単純なレベルで間違っているようでもある。民法的な問題意識はないのかもしれない。また、sovereigntyの意識もないようには見える。が、このあたりはれいの革命の問題でもあり、革命権の問題でもある。