リアリティとか
⇒「リアリティ」はなんて訳す? 訳し方はひとつじゃないはずだ! - ピアノ・ファイア
直接的な話題ではないけど。
realityというのは、もちろん、日常的な文脈もあって、英英辞書などにもそう出てくるのだけど、原義というか、言葉の根の部分には、今目に見えるものから隠されている真実、という含みがあるのだろうと思う。
ある意味、あったりまえで、ハイデガー的な批判系列から出尽くしの感はあるけど。というか、ハイデガーはrealityについて動的な見方をしているようだけど。
で。
基本的には、realというのは、phenomena(現象)に対応している。
で、現象というのは、感覚(sense)に対応しているわけで、目で見て触って、おおこれが本物だというrealityというのは、phenomenaなんです、というあたりに、西欧的な思想の奇妙な根っこがある。
realityというのはphenomenaとの関係にあっていちおう隠れている(そうじゃないんだという哲学もあり)。
ついでにいうと、-ismというのは、日本では「主義」とかつい訳されるけど、これも、phenomenaの語感がある。
で。
virtualは、「仮想」と訳すし、英英辞書でもそれでよいのだけど、根としては、phenomenaがrealに想定されるsenseのありかたみたいなもので、仮想だから幻想というわけでもない。
さらにやっかいなんだけど。
「幻想」というのは、吉本隆明とかいう場合、夢は幻想、という意味じゃなくて、精神が思考や感覚から疎外・外化された実体に近い。
戻して。
phenomenaがsense(感覚)に依存しているのだけど、realityはsense(意味・理性)に依存している。このsenseの多義性みたいのも、また、西欧の考え方の奇妙なところ。
ちなみに、じゃあ、東洋というか日本ではというと。
realityというのは、おそらく「名前(言葉)」の共同性的なものへの心情的な追認ではないかと思う。簡単にいうと、みんながその名で呼んでいるなら、realとして振る舞うという、振る舞いの問題ではないかな。ヴィトゲンシュタイの言語ゲームというのは、日本人にとってはそれが自明な世界。