「公」というのは、許容を元にした、原則と対話から生まれるのではないかと思うのですよ

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parallel-world ニセ科学, 宗教, 社会 宗教は尊重します。カルトは批判します。なぜなら、正常な論理的思考とリテラシー能力を奪うので。「公」にとって不利益をもたらします。 2009/05/04

 直接的な批判ではないけど、「カルト」が「正常な論理的思考とリテラシー能力を奪う」だから、「「公」にとって不利益をもたら」す、というのは、違うのではないかと思うのですよ。
 そういう発言のスタンスは、「正常な論理的思考とリテラシー能力」にあるのだけど、そのスタンスの一種の無謬性のような無前提な自明前提を置いているけど、問題はそれをどう機構的に批判できるかなんですよ。
 簡単にいうと、「自分は正常な論理的思考とリテラシー能力がある」という人に「正常な論理的思考とリテラシー能力」があるとは限らない、という問題を前提に据えたとき、「公」とはどう見えるかということ。
 私としては、許容を元にした、原則と対話から生まれるのではないかと思うのですよ。