朝日社説 憲法記念日に―貧困、人権、平和を考える : asahi.com(朝日新聞社)

 貧しかった昔は、平和、人権、貧困の順ではなかったかな。

 昨年暮れから正月にかけて、東京・日比谷公園にできた年越し派遣村。自動車や家電企業から突然首を切られ、転がり込んできた労働者らが炊き出しの食事で命をつないだ。

 日比谷で認可されたのが珍しいけど、越冬闘争は年中行事だが。

 むろん、途上国の貧困と、世界第2の経済大国の豊かさの中で起きるさまざまな現象を同一には論じられない。

 そりゃね。

 かつての日本に、もっとひどい「貧困」の時代があった。
■安定社会への見取り図
 昭和初期。漁業の過酷な現場で働く若者の姿を描いた小林多喜二の小説「蟹工船」が発表されたのは1929年。金融大恐慌が始まった年だった。日本でも経済が大打撃を受け、都市には失業者があふれ、農村は困窮して大陸への移住も盛んになった。
 そうした社会不安の中に政治テロや軍部の台頭、暴走が重なり、日本は戦争と破滅へ突き進んでいく。

 みんなビンボが悪いんだ、と。これは結果論だけどね。貧困というより恐慌の問題(一生懸命軍縮もしていた)。

 憲法の描く社会の見取り図は明確だ。自由な経済活動によって豊かな社会を実現し、貧困を追放する。同時に国民は平等であり、教育や労働といった権利が保障される。

 憲法の見取り図は、日本人は暴虐な政府のためにひどい目にあったが、(アメリカ様が解放してくれたので)、民主主義の国家を作り、平和の理想の範として世界から尊敬されたいよ、と。

 こんなしんどい時だからこそ、憲法の前文を思い起こしたい。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

 北朝鮮の国民を援助しないと。