うーむ

 なんか悪口みたいに聞こえるかもしれないけど、佐々木さんて文学的な感性っていうのか、ないのかな、とは思った。
 ⇒「正論原理主義」を乗り越えて:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

 読み方はさまざまにあるけれども、ひとつの切り口から見れば、村上文学はこう読み取れる――初期の作品群は、主人公「卵」がいかに世界のシステム=「壁」から回避し、孤独でシニカルな生き方を選びとることができるのかというテーマに覆われていた。社会からの撤退であり、その撤退の先にいったい何が待ち受けているのかという問題だ。ところが一九九〇年代以降、そのテーマは大きく変容している。

 初期作品の総括ともいえる、これ読んだことないのかな。

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羊をめぐる冒険: 村上 春樹
 この物語の冒頭に描かれている三島由紀夫の自決の描写が、今回の文春での団塊世代への批判に呼応しているのに。
 あと。

 壁と卵は対立しているだけではない。そこには共犯関係が存在している。壁は卵を作り、卵は壁を支える。われわれはつねに壁に荷担し、壁と共犯して他の卵を壊している。つまりわれわれは否応なくシステムに組み込まれ、システムに荷担して生きている。その荷担からは決して逃れられないように見える。
 しかしその共依存のような共犯関係謎を解き明かし、そして新たな卵と卵、そして卵と壁の世界観を作り上げることは可能なのだろうか。私にはそれこそが、現在の村上文学のテーマであると考えている。

 これも悪口に聞こえてはいけないけど、この関係というのは、「疎外」ということなんだよ。
 そしてこの問題は、吉本の「共同幻想論」とも呼応しているように、実は極めて根深い問題でもあるんだけど。
 私もやや批判的に評したけど。

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「はだかの王様」の経済学: 松尾 匡
 団塊世代ならごく普通にそれなりに知っているマルクス哲学の基本が、どこかからずこんと消えたのだろうなとは思う。