日本語なるものがあるかないかとか、滅びるとかとか滅びないとか

 まあ、いろいろ議論するとよいと思うけど。
 ⇒極東ブログ: 「徒然草」を読む
 以前も書いたけど、日本語を40年使って親しんでいたら、いつのまにか、一千年昔くらいまでの日本語はなんとなくわかるようになった。というか、もちろん、読めないところはあるけど、古文がそれでもああ日本語だなと自然にわかるというか。
 もしかすると、沖縄経験もあるかもしれない。
 沖縄の田舎に暮らしていて、うちなーぐちに囲まれていたのだけど、ついぞ、しゃべるどころか聞くこともできなかったが、そのなかに室町時代というか、やまとの古語の感覚をもった。「とぅじ」、とか、ああ、「刀自」か、と。その言葉がいきいきと生きている感覚のなかに、やまとことばの古形の実感というかリアリティを感じたものだった。

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沖縄語の入門―たのしいウチナーグチ: 西岡 敏, 仲原 穣, 伊狩 典子, 中島 由美
 CDを聞いているだけで、うっとりするものがある。