わたしのいい加減さとやら

 ⇒教相判釈 - Wikipedia

 しかし、今日では、経典の成立した年代がある程度特定され、大乗経典などは、釈迦の直説ではなく後代によって成立したことが周知の事実であることから、大乗非仏説の根拠として批判されている。したがって五時八教説(後述)は完全なものではない、あるいは正しくないと一般的に否定されつつある。ただし南伝の三蔵も、最古の部分でも釈迦の死後100年内に編纂されたと推測されている程度で、実際に釈迦の直接の教説の記述を伝えるものとし確定されている経典は存在しない。
 だが、当時は南伝も北伝も、経典はすべて釈迦の説いた教えであると信じられていたため、教相判釈による以外に判別する方法が無かったともいえる。またちなみに、多くの経典が釈迦の直説ではないといっても、そのおおもととなる教説により各経典が発展して成立し、まったくのデタラメとも言えないという観点から、大乗非仏説ではなく経典成立史と呼称して新しく教相の判釈を試みる傾向もある。

 仏教にはクレドがないから異端は定義できないと思う。
 道元は若い頃の著作を読むとしかし外道への判断は激しい。ただ、彼はそういう排他より新の仏法で人を救いたかったというかそちらを優先した。
 異端が定義しづらいということは、教義と史学が分離しづらいことで、五時八教は教義であって史実として批判してもむなしい。
 キリスト教についても新約聖書というのとクレドとの間には乖離があるといえばあるわけで、ただ、聖書の編纂史にはクレドの教団との関連はある。
 ⇒はてなブックマーク - 鰤端末鉄野菜・書庫: アフリカノ果テ - 2008年12月22日

Britty 宗教 「そのあたり……三位一体論とも併せて難しいが」ってスウェーデンボルグは明快に反三位一体論者だし新教会はその意味でキリスト教でない。/あもうさんとのやりとりとともに、この人のいい加減さが改めて分かる。 2008/12/22

 スウェーデンボリが「明快に反三位一体論者だし新教会はその意味でキリスト教でない」ということで、「いい加減さ」が解決されるのは、いい加減な私は違うと思う。
 これが正しいわけでもないけどこの問題は難しいと私などは思う。
 これ⇒三位一体論

野葉:そうです。スウェーデンボルグはこう言っています。
「凡ゆる基督教徒は、その原始時代には、主イエス・キリストは神であり、主御自らの明白な言葉に従い(マタイ28・18、ヨハネ17・2)、主には天と地とまた凡ゆる人間とを支配する一切の権能が与えられていることを認め、而して主が父なる神によって語り給うた命令に従って(ヨハネ3・15、16、36、6・40.11・25,26)、主を信じたのである。(真の基督教637)
使徒的教会は主イエス・キリストとその中にいます父なる神とを礼拝した。」(真の基督教638)
使徒的教会は以下のように語られているところのその教会の信条すなわち使徒信条によって明らかであるように、三人格の三一性、あるいは永遠から存在する三人格の三一性については何ごとをも知らなかったのである。『私は天地の造り主 全能なる父なる神を信ずる、私は聖霊によってみごもり、処女マリアから生まれ給うた父の独子 我らの主を信ずる、』また『私は聖霊を信ずる。』ここには永遠の如何なる御子についても記されず、聖霊によってみごもり、処女マリアから生まれた子について記されているのみである。何故なら彼らは使徒達によってイエス・キリストは真の神であり、(ヨハネ第1書5・20)彼の中に神性の完全性は身体となって宿り(コロサイ2・9)、使徒達は彼に対する信仰を宣べ伝え(使徒行伝20・21)、彼に対し天と地の凡ゆる権能が与えられていることを知っていたからである。」(真の基督教175)
ポントス:なるほど。
野葉:ミサの中で唱える「栄光の賛歌」にこうあります。
「天のいと高きところには神に栄光、地には善意の人に平和あれ。われら主をほめ、主をたたえ、主を拝み、主をあがめ、主の大いなる栄光のゆえに感謝したてまつる。神なる主、天の王、全能の父なる神よ。主なる御ひとり子、イエス・キリストよ。神なる主、神の子羊、父の御子よ。・・・」
原語ではどうなのか知りませんが、この日本語を素直に読む限り、「神である主。天の王であり、全能の父なる神である方よ。そして、その主である御ひとり子、イエス・キリストよ」と、主を父なる神と呼び、その主であるイエス・キリストよ、と言っています。つまりイエス・キリストを主であり父なる神であると言っています。
ポントス:うーん、確かにすべての言葉が最後の「イエス・キリスト」を修飾していますね!
野葉:ええ。この賛歌はルカ2・14に冒頭部分が載っていますが、キリスト御降誕の夜、ベツレヘムで天使の大軍が羊飼いたちに告げたものと言われています。これはおそらく古いそのままの形が残っているのではないかと思われます。
ポントス:ということはその当時の人はキリストが神であり、天の父であると分っていたんですね。
野葉:そうです。三位一体説など予想もしなかったのです。ですから、ニケヤ会議以降のキリスト教は、使徒的教会とか原始キリスト教会と呼ばれる最初の頃の信仰からは、完全に変質したと言えます。

 まあ、「完全に変質した」は違うのですが。
 基本的には三大信条とスウェーデンボリの三位一体論をどう位置づけるかということ。
 ⇒三大信条
 で、この問題は、スウェーデンボリを離れてもいろいろ問題のあるところ。
 日キの場合⇒日本キリスト教会信仰の告白

 日本キリスト教会は1953年に次の信仰告白を制定しました。この信仰の告白は、使徒信条、 ニケア信条 、ハイデルベルク信仰問答、ウェストミンスター信仰告白、1890年に制定された日本基督教会信仰の告白に言い表されている信仰を継承しています。

 難しいのは、使徒信条とニケア信条の差異の問題。
 ⇒随想 吉祥寺の森から : 使徒信条 ニケア・コンスタンチノープル信条 - livedoor Blog(ブログ)

 昨年、カトリックのミサの中で用いられる信仰告白文が「使徒信条」から「ニケーア・コンスタンチノープル信条」に急に変わった。「使徒信条」はいうまでもなく、カトリックのみならず、東方教会や無教会派、プロテスタント諸派においても遍く用いられている文章であり、短く簡潔にまとまっているため、多くのキリスト教徒はこれを「主の祈り(Lord's prayer)」とあわせて暗誦している。

 この説明では必ずしも正確ともいえないとは思うのだけど、いずれにせよ、使徒信条とニケア信条の差異があり、スウェーデンボリはそのあたりを考察はしている。ただ、独自すぎて異端視されるのだろうけど。
 さらに、この問題は、エキュメニズムに関連していてむずかしい。
 これもまだ未決だと思う⇒フィリオクェ問題 - Wikipedia
 というか未決の上にエキュメニズムを構築するしかないのでは。

「フィリオクエ」をめぐってはその後も東西教会で見解が一致せず、結局1054年の大分裂を生んだ。現在でも正教会では「聖神゜(せいしん…聖霊のこと、日本正教会による訳語)は父からのみ発出し、子を通して派遣される」としている。

 かつてはカトリックからはプロテスタントは異端だった。今でもそうとも言えるかもしれないが、Brittyさんがおっしゃられる「その意味でキリスト教でない」の判断は、現代ではエキュメニズムとの関連に置かれる。
 この手の問題は各派の教義の立場というものもあり、そういうケースでは、市民運動と同じようにその内部で合理的な判断を求めるというものでもなく、私など外部の人間は「この人のいい加減さが改めて分かる」とならざるをえないし、私としてはそれが謙虚な立場かなと思う。
 補足すると、「キリスト教キリスト教ではないか」は、信仰の問題や、学問方法論の問題であり、そうした介在との自己の関係が間接的な場合は、判断を控えるものじゃないかな。また、そうした内在側の論者との内在的な議論も、控えるべきかなと私などは思う。