ログイン・晴れ

 寝付かれぬというほどのことはないが細かい心配事が積み重なって、夜間しばしば目覚めた。その分心身にダメージを受けているなとは思った。夢は、フリーマーケットで電話のようなおもちゃを買うのだが、そこにペットにあてたメッセージようなものがあり、それからごちゃごちゃとしてそのご夫婦に会うという展開だった。が、そのご主人はネットでばりばりの左翼のブロガーかただと知った。どうしてそういう思想とこのペットの愛好家が同一なのだろうと思っている(が、その間、自分がブログを書いていることはまったく意識にはない)。夢はごちゃごちゃとしていたが、そんな疑問を残すものだった。
 明け方、夢とは別に、ぼんやりと自分の30代以降のことを考えていた。自分は自分の本来の人生を生きていないといったことではないが、その後、実は祝福に満ちた人生でありながら、密かに欺瞞した夢と、人生や世界のルサンチマンのようなものを持っていることに気が付く。自分を巧妙に騙して生きているともいえるし、ではその騙しのない状態はなんなのかというところにはまるで現実感はない。
 ただ、その現実感の裏返しが、死というものの圧倒的な砕きを想定して、すべてが非現実的な均衡の意識がないわけではない。「牛過窓櫺」を思った。悟ったかに見えるすべてが滑稽な矛盾を抱えている状態。
 そういえば昨晩読んでいた本の著者は50歳で25歳の娘と結婚していた。その娘は私と同い年なのでその後50歳を越えたのだろう。旦那はよって75歳であろうか。その年でも若々しい人はいるのですてきな夫婦でもあるのだろうか。
 そういえば、今日は高校の恩師かなの誕生日であり彼もそのくらいの年であろう。そして山口百恵の誕生日だ。彼女も50歳になる。私の心にあるのは、その16歳の姿と声だけだが。深夜放送枠だった。「夢のなかで出会うあなた、誰かに似ているけれど♪」と歌っていたように記憶している。なんの番組か、なんの歌かも忘れた。私は彼女のファンというわけでもなかった。その後喧嘩別れした当時の親友と、どんだけおまえは百恵のファンなんだよみたいにからかいあっていたが、彼もそれほどファンではなかったかもしれない。