雪のところも多いのかもしれない。明け方冷えた感じがして、暖房を強化した。昨晩は寝付かれなかったがとくに心理的ものでもないのかもしれない。夢は忘れた。明け方、自分の欺瞞性とでもいうものをいろいろ思ってもいた。私という人間にはあまり確たる自我というのはなく、よって欺瞞といっても、本心対偽装というようなスキームでもない、と思うのだが、ネットなど長くやっていて、そうではないリアクションが多かった。まあ、それもそういうものかと思うし、おそらくそういうリアクションはその人の欺瞞性の鏡像なのだろう。私という人はぼんやりとしただまし絵みたいなところがあるから、何か悪や劣等の像を見たいのではないか。そしてそのことには、ご自由に、としか思えない。いや、そういうのは誤解かなとも思うが解けた試しもない。いずれにせよ自分に戻ると、確たることのない自我の、それゆえのぼんやりした欺瞞性というか、いや客観性というか傍観者性というのはある。なぜかななと思ったが、それなりに過酷な人生に対する防衛反応だったのではないかなと思った。ちょっと悲しいなとは思ったが、そこから救われる人生でもなかった。というか、過酷な人生といっても物語化されない、理不尽というか支離滅裂ということであって、憎しみや怒りというものではない。それならそれがファルスのように機能して私はもうすこし確たる自我が持てたかもしれない。と書きつつ、私は観察性によってファルスを解体化したらから脱物語として生存したのかもしれないなと思った。それも悲しいことかな。文学など好むようになってから、私のような心性はけして珍しいものでもないなとは思ったが、私は文学といった文脈もまた脱物語化されていた。基本的に社会や他者から注目されるような特質というのも端からもっていないのだろう。