メチニコフというのは

 晩年は微妙にトンデモなのだが、日本ではそこが奇妙な歴史として定着している。そのあたりは、わかもとの歴史も調べるとわかるように、まったく隠蔽されているわけではないのだが、よくわからなくなっている。ただ調べるほどに面白いというか滑稽な感じはする。ただ、これって現在日本でも利害関係者が多いので、あまり物騒なことも言えないが。
 ⇒イリヤ・メチニコフ - Wikipedia

また晩年には老化の原因に関する研究から、大腸内の細菌が作り出す腐敗物質こそが老化の原因であるとする自家中毒説を提唱した。ブルガリア旅行中の見聞からヨーグルトが長寿に有用であるという説を唱え、ヨーロッパにヨーグルトが普及するきっかけを作ったことでも知られる。自身もヨーグルトを大量に摂取し、大腸を乳酸菌で満たして老化の原因である大腸菌を駆逐しようと努めた。

 グルジェフなんかもこれにすっかりひっかかっていたが。
 ⇒ヘルシスト

辨野  もう35年も前になりますが、私が光岡先生のもとで腸内フローラの研究をはじめ、学位をとってアメリカに留学しようとしたことがあります。留学したかったのはNIA(米国立老化研究所)で、腸内フローラの改善を通じて老化を遅らせることが出来るのではないかという研究をしたかったのです。そこで、その旨を研究所長さんに手紙に書いて留学をお願いしたところ、「お前の学問はサイエンスではない。乳酸菌が健康に役立つなんていうのはメチニコフで終わりだ」と断られてしまいました。アメリカでは1970年代にムアー(Moore)やファインゴールド(Finegold)らが精力的に研究したのですが、腸内菌と病気や健康の関係は認められなかったため、研究が打ち切られてしまったのです。アメリカは国民皆保険がないため、自分で自分の健康を守るという予防医学発祥の地でもあるのですが、菌を使って疾病を制御したり、健康を維持するという発想はなかったのです。

 メチニコフの「老化の原因であるとする自家中毒説」はただのトンデモで終わっているというのが米国。ポーリングが晩年ビタミンCで風邪が治る抗癌作用があるとしたのがトンデモとほぼ同じ末路。
 ただどっちもその後に微妙な部分があってややこしい。
 メチニコフの晩年説が否定されたことの一つには、菌が限定されていることや、腸内に達せず死んでしまうというのがある。実際にはもっと重要なのは、到達しても免疫によって殺されるのだけどね。
 さきの続き。

 昨年、コロラドでISAPP(International Scientific Associations for Probiotics and Prebiotics;プロバイオティクスとプレバイオティクスに関する国際会議)があり、3日間にわたり欧米の研究者とディスカッションしたのですが、どうもアメリカの研究者の考えは視点が外れているように思えてなりませんでした。彼らは腸内フローラの重要性よりも菌が持っている機能や物質にだけ関心があって、宿主を見ていないのです。
 食品を通じて健康の維持・増進をはかるという考えをもっと浸透させないと、乳酸菌飲料やヨーグルトは、単なるサプリメントの発想で終わってしまうでしょう。

 この「アメリカの研究者の考えは視点が外れているように思えて」じゃないのが、なぜ日本以外に北欧に伝搬してそこでけっこうプロバイオティクスが生き残る。

田中  先ほども話したように、アメリカでは1920年代にレッドガーがアシドフィルス菌を使った生菌療法を薦めましたが、根付きませんでした。私は、アメリカでは抗生物質が発見され、感染症はすべて解決出来るから、生菌療法など必要ないと考えたのではないでしょうか。ただ、一般国民の間では、まだプロバイオティクスという言葉が浸透していませんが、NIH(米国立健康研究所)などではゲノムサイエンスを背景にプロバイオティクスの研究を始めています。うかうかしていられません。

 米国では結局アシドフィルス菌が残った。いちおう今でも使われているには使われている。以前読んだ本で、カンジダの予防とかがあって笑った。
 プロバイオティクスでは。

田中  この言葉は抗生物質(antibiotics)に対比される言葉で、1965年にリリー(lilly)とスティルウエル(stillwell)が「ある種の原虫(protozoa)によって産生される他種の原虫の増殖を促す物質」と定義したのが最初だとされています。その後、パーカー(Parker)が1974年に「宿主の腸内菌叢の制御を通じて宿主に有益な影響をもたらす物質」と定義しましたが、1989年になってイギリスの微生物学者フラー(Fuller)が、その定義では抗生物質も含まれてしまうとして再度「宿主の腸内菌叢のバランスを改善することにより、宿主にとって有益な作用をもたらしうる生きた微生物」と定義したのが、現在、使われている概念です。この言葉が日本にも輸入され、広く使われるようになったのですが、日本では、すでに1930年(昭和5年)にヤクルトの創始者である代田稔博士がラクトバチルス カゼイ シロタ株(L. casei)の強化培養に成功、1935年にはヤクルトが発売されています。
 そして1978年にはビフィドバクテリウム ブレーベ ヤクルト株で発酵させた本格的なビフィズス飲料の開発に成功、市販を開始しています。発想も実行も日本が先駆者だといっていいでしょう。

 ここは非常に微妙なんでパスだが。この昭和5年の状況は意外と北朝鮮なんかにも影響していたようでびっくりしたことがあった。
 いずれにしても、1920年、1930年という年代は、当時の健康状況を考えると非常に面白い符牒はあるがそれもパス。
 でこれ⇒ミヤリサン製薬 - Wikipedia

長らく後楽園球場や東京ドームの一塁側内野中段に「腸にミヤリサン」の広告が出ていたが、2000年頃に撤退。しかし本社屋上の同看板は健在で、上越・長野・東北・秋田・山形各新幹線乗車中に見ることができる。

 ブレードランナーみたいだが。
 こんな歴史。

1933年 - 千葉医科大学(現 千葉大学医学部)において、宮入近治博士(ミヤリサン初代社長)により、酪酸菌が発見される
1940年 - 酪酸菌の工業生産開始

 公式には⇒酪酸菌の歴史
 そういえばメチニコフもノーベル賞Ilya Mechnikov - Biography