崇拝っていうのはないけど

 猫猫先生信多純一氏の八犬伝論 - 猫を償うに猫をもってせよ

ただ、若い頃はずいぶん西部先生あたりに傾倒したものだが、30過ぎる頃から、人間はしょせん人間である、と達観するようになって、誰も崇拝はしていない。

 崇拝っていうのはないけど。
 五十になってみてよくわかるようになったというのはある。そしてさらに学ぶことが多いと思うようにもなった。私は山本七平の心酔者みたいに思われ、よってバッシングみたいのも受けるけど、私は彼のいわゆる百人切り話とか関心ない。とかいうと、そこに関心もてみたいに言われるのかもしれないけど、関心ないというか、七平さんはそう思ったんだなで終わり。むしろ、晩婚の最初の子が流産したことや、家屋が焼失したこととかそういうことから、そうなんだろうなと思うことが多い。
 塩野七生がローマの話を終えたら山本先生と対話ができると昔言っていた。山本の知識は学者的ではなかったが、総体の規模に畏怖を受けるような部分はあった。ああいう知識を持ちながら市井に過ごす人は少なくない。