ちょっこっと

 私は「ポストモダニズム系リベラルの理論家」ではない。じゃ、なにかと言えば、戦後の日本人です、凡庸に。なので、その凡庸さの度合いのリベラリストですよ、くらいなものかな。
 で、「公共空間の言論は開かれている」というのは民主主義・自由主義のごく当たり前の前提だと思う。
 で、そこと、「絶対的真実」というのの関連付けは、単にロジカルエラーだと思う。
 「公共空間の言論は開かれている」というのは、我々という市民の友愛として政治主体が、どのようにその共同性の社会の合意を取り付けるかというための道具。
 そして、「共同性の社会的合意」というのは、民主主義にあっては、「異論の併記」ということ。異論が間違っているではなく、当面は、合意や、原則、手続きから留保しておきましょう、というだけのこと。
 象徴的にいえばジャネット・ランキンを大切にするいうこと。ジャネット・ランキンを否定してはいけないということ。これは、「絶対的真実」というのではなく、ただ、我々の共同性の合理的な仕組みとして。
 ⇒ジャネット・ランキン - Wikipedia

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