日経春秋 春秋(10/20)

 ことしが生誕100年にあたる宮大工の故西岡常一は、ひとにものを教えなかった。戦争を挟み20年がかりで法隆寺の「昭和の大修理」をなし遂げた名棟梁(とうりょう)だ。若者が全国から集まってくる。その口癖が「自分で考えなはれ」「学校の先生やない」だったそうだ。▼例えば「納屋を掃除せい」と命じる。それしか言わない。しかし、納屋には門外不出の図面が置いてある。掃除命令には図面を見て勉強していいぞという意味もあった。あるいはかんなくずを1枚渡す。受け取った方は窓に張り、同じくらい美しいくずになるまで、かんなを研いで木を削り、をひたすら繰り返す。

 つい西岡常一をネタにしたくなるものだけど。
 ⇒極東ブログ: [書評]宮大工西岡常一の遺言(山崎祐次)
 西岡常一の核心にあったものは仏教信仰だと思う。その配慮がないと、西岡常一を引いたコラムは全部なにか腐臭が漂う。