産経社説 【主張】日本語の乱れ 漢字と暗誦で国語再生を - MSN産経ニュース
またかなのでスルーでもいいんだけど。
国語の習得は学ぶこと(まねをする)と習う(それになれる)ことが基本だが、今やそのモデルが必ずしもよき模範となっていないことは、子供の言葉遣いに影響を与えるものとして86%近い人がテレビを挙げていることからも見て取れる。
「学ぶこと(まねをする)」という表現あたりになんかすごいトンデモ臭がする。っていうか、学ぶということはまねをすることじゃないよ、とかいうとそこで議論になったりするから低次元。
カタカナ語は聞いても読んでも、元の語を知らなければ意味が正確に伝達できないから、増えれば増えるほど国語を曖昧にする。
だから、英語をもっときちんと学習しなさいと。それとギリシア・ラテンの基礎くらい高校の英語に含めてよいと思う。
がっかりしてぼんやりしている様をいう「憮然(ぶぜん)」を、腹を立てている様子と取り違えている人も同じくらいだ。
これなんだが、誤用としてなくてもいいんじゃないか。
⇒ぶぜん 0 【▼憮然】 - goo 辞書
(ト/タル)[文]形動タリ
(1)思いどおりにならなくて不満なさま。
「―たる面持ち」
(2)落胆するさま。
「昨夜幽明の郷に逝けり…―として大息する/佳人之奇遇(散士)」
(3)事の意外さに驚くさま。
「一たび日本の秋を看るや、忽ちにして―自失すること/日本風景論(重昂)」
三省堂提供「大辞林 第二版」より凡例はこちら
思いどおりにならなくて不満な顔は、腹を立てているように見えるよ。
「檄」が表外字なので義務教育期間中にこのような言葉の学習機会がなく、語感で覚えてしまうことによろう。
「檄」とかきちんとした歴史の感覚がない子供に教えてもムダだと思う。
国語力強化には、幼少時から言葉を学び、習う機会をシャワーのように浴びせてやることが重要である。慣用句やことわざ、古典の名文などは早くから暗誦(あんしょう)させるのがよい。国語力衰微の根本原因は戦後国語政策にあるといっても過言ではない。調査結果がそれを端的に物語っている。
とかノスタルジーを覚えている戦前の日本語の状況はそれほどたいしたものではない。というか、山本七平がいう軍人語があった。今考えると日本語が乱れきった時代だった。
国語というは、それを語ることの、離れがたい愉悦のようなものが根にある。日本語というものに魂をうばわれるようなそれでいて日常の生活感がそれを支えるようなものでなくては意味がない。老人の言葉と老人の語る物語と老人への愛情は、その老人の時間を自国民の歴史として慈しむ言葉の感性から生まれる。
言葉の愉悦は言葉の楽しさから生まれるから。斎藤孝が監修している「にほんごであそうぼう」もそう悪くはないが、普通に、子供に楽しい話ができるかどうかに言葉の文化はかかっている。高校生には正課で落語を教えるといいと思う。艶話など教えれば、はてなでこんなに非モテ論壇が盛んになることもなかっただろうな(冗談ね)。