若い人が死ぬのはもったいなとかちょっと思うが

 がというのは、自分も若いころ死とかに近いところにいたので、そういうものでもないか、と。
 世間で自殺エピデミックが起きるたびに、ああ、自分は死なないやと孤立して思う。エピデミック的に死ぬのが最初の嫌悪というか、私は孤独感の強い人なので、死をそういうわかりやすいコンテクストにしたくない、というか、それで誰かに語りわけでもない。ああ、自分が死を見つめているのに世間の死がうるさい、みたいな、ある種傲慢な感じだ。
 これが生きているとなんどか波である。そして今生きているのだからその波を乗り越えているのだが、どうも私はそういうふうには自殺しない、お暢気な人なのだろう。ああ、自分って自分が思っていたような人ではないなというか。
 自分には各種才能がない。あるいは適当にあるのかもしれない。でも社会的に生かしていない。ブログがそれをいかすチャンス、とか思ってないですよ。ダメ人間だな俺はと思っているが、実際のところ、あ、死んじゃったみたいなダメさはない。奇妙なことにカネは厳格なところがあってそこから崩壊しない。女? 私は自身の理解では非モテだし、女性は苦手なので(結果的にはそうして女性を傷つけていたなとは思うけど)、そういうところからの崩落もない。あとはありがちな崩落は飲酒か。これも体質がそれほどうけつけない。よくわからないのだが、まずい酒を飲む気がしれないという傲慢というか奇妙な確信というのがある。私は、自分の味覚が優れているとは思わない。調理とか向いてないと思う。でも、結果的には味覚はちょっとあるいはかなり人と違うところがあるというか、感性全体にどっか普通の人とずれているところがある。そういうズレと、小物的なスケールのなさのないまぜでこんな自分になったのだろうな。あまり死ぬような人もなかったか、みたいな。