猫猫先生死を語る
平安時代から、80まで生きる人というのはいたけれど、昭和30年代以前なら、60歳まで生きたら、まあよしという意識が多かったのではないかと思うし「人生50年」はともかく、60年くらいの計算で社会ができていたはずだ。
これはそうだったと思うし、私も父に62で死なれてますますそう思う。60歳くらまで生きたら果報者。70歳は古来稀なり。
むろん、90歳まで生きても怖いものは怖いかもしれないが、多くの大人が語る「死の恐怖」というのは、たとえばあと一年で死ぬとかいう「若死にの恐怖」なのではないだろうか
このあたりは猫猫先生に感覚的に通じないところか、いい悪いではなく。
平均寿命まで生きられないことへの恐怖
それはそれであるし、私のように死にシュリンクしているような人は逆に、平均寿命くらい生きる可能性もそうは否定できないな、その割に老いていく自分がやだなという感じはする。
話は変わるが。
若いころ年配の人に、若いのはいいねと言われたものだった。そして反感を覚えた。あの反感は記憶は今でもあるから、あのころの年配以上の年になった自分としてはすこし奇妙な感じがする。
若いのはいいなというのは、30代の始めなら10年なにかをやりとげればそれなりに大成するとういのはあるだろう。40代でもまだあるな。
自分のように50歳になってしまうと、ゼロとは思わないが、自分の人生のかたちというのはそれなりにくっきりとしはじめるので、可能性ということではない。
ダメ人間にもそれなりの人生というのはあったわけだ。
が、所詮ダメはダメなので、しかもこれに加齢があるのはつらいなというところ。