朝日社説 薬害エイズ有罪―市民の生命を守る重さ : asahi.com:朝日新聞社説

 無罪を主張した元課長は「自分には個人の刑事責任が問われるほどの義務はなかった」と反論していた。
 これに対して、最高裁は「汚染された血液製剤について、国が販売中止などの明確な指針を示さなければ、安易な販売や使用が行われる恐れがあった。そうした状況では、防止のために十分な措置をとる義務がある」と退けた。政府もこの判断を重く受け止めなければならない。

 元課長と国の責任についての関係を朝日がどう理解しているかわからない。「政府も」というのはそういう機構上の意味をもたせようとしているだろうか。

 厚労省以外の公務員も、ひとごとと考えない方がいい。
 最高裁決定は、やみくもに公務員に権限を使えといっているわけではない。薬害のように市民の生命がかかる場合は、一人ひとりの公務員が動かねばならない。そのことを明確にしたのだ。すべての公務員は心してもらいたい。

 そこまで一般論化するとそれは違うのではないだろうか。というのは、「一人ひとりの公務員が動かねばならない」というのがどの程度可能なのかによって異なるはずだ。
 医師をバッシングし、公務員をバッシングする。だがそのバッシングのポイントは個人の倫理だとしたら意味は薄い。どういう機構を作り、そのなかで構成員の権限と可能性が明確化されなければ、社会はよくならない。