私が言うこっちゃないけど
某氏エントリを読みながらふと恋愛って始まったり二度目を始めたりっていうののつらさみたいなのがあるなと思ったが、別に説教する気はない。ちょっと感慨というだけ。
私は個人的には恋愛というのはつらいものだと思う。下手すると自殺するより数倍のエネルギーがいるというか、自分の存在の奥底から沸いてくる未知なものに最後は賭けてみようみたいな無謀さみたいなそんなものかと思う、あるいは思っていたというか。ただ、そういう言い方は拙い。
毎度毎度の繰り返し、夏彦翁みたいだけど寄せては返す波の音じゃないけど、いや翁のようにホルモンホルモンみたいにも言わないが、恋愛というのは、普通の人がすると、滑稽なものだ。まず絵にならない。そして話(ストーリー)にならない。でも、無意識的には絵であって欲しいしストーリーであって欲しい。
で、恋愛とかでもそれは日常の文脈にいずれ落ち着き、それなりの絵としてストーリーとして落ち着くし、まあ、生きてみるってこういうことか誰にも通じないが生きてみる価値があったかもみたいなこそっとした感動のようなものを残すというか、よすがとするというか。
人生啓発ものとか感動の小説とか前向きな人とか愛は獲得するものみたいに言うが、ま、単純にいうとそういうのは心のお病気のような感じがする。なるようにしかならないし、なるようになってこんなブ男・ブスでも一生懸命生きてみましたというか。
そもそも大半の人間がそういう背景でこの世に産まれてくる。孤独とかつらさとか不運とか自分を取り残すからついそういうのを自我に吸い込ませて自我がぷくぷくと大きくなってしまうが、二歩三歩引いてみると、そこにいるのは、美形も才能もない普通の人間とつらさだけで、生きていくのは鬱だのうという現実しかない。というか、そういう鬱のパワーで自分を小さくして、ま、じゃ、死ぬまで生きてみますかみたいな工程のどっかに恋愛みたいなものがあるんだろうけど、それがどう考えても凡庸な事件なのに、なかなかそういうもんでもない。
ま、ぐだぐだ言ってみるけど、こういう殺伐とした冷やりとした感覚みたいのは不要でけろけろっと生きていくこともできるし、そのほうが賢いような気はする。ただ、それも運、不運みたいなものはあるな。身体の根のようなところに憎悪とか悲しみみたいのを埋め込まれた人間は、たとえそれが傍から見て凡庸でも、本人としては思いの檻から出られるわけでもない。