著作家の著作以外からなんとなく学ぶこと

 私は、まいどながらになるけど、小林秀雄吉本隆明山本七平森有正とか、ま、他にもいないわけではないけど、若い頃から読んでいて、いや吉本は20代後半からか。で、著作の他にその人達がどんな恋愛や実人生を送ってきたかというのにも、すけべ心というのか関心を持っていた。
 今の自分の歳になってみると、あまりそういう関心はもたないだろうが、こういう卓越した人でも、恋愛沙汰とかに素手で向き合うしかない、どう向き合っていたのだろうか。
 で、一般解はない。
 小林のエッセイで、孫がまだ小さいとき玉を転がす相手をしていて幼時期とはこんなふうにするものだみたいな話があるのだが、娘の明子の子が幼いころのことだ。ふと思うと、今の私くらいの歳だろうか。あの派手な恋愛と自殺しそこねの小林が普通に結婚し普通に子供を育て孫と向き合っている。そういう思いをいろいろ想像した。まあ、文学史の表面にはでてこないが小林はあれで銀座のママとかの浮き名もその後はあったらしいが、それでも若いころの恋愛の蹉跌のようなものではないだろう。
 吉本のエッセイで、友人の奥さんをぶんどり、その奥さんから、あなたの背中には悪魔の羽根が生えていてばたばたしているのよと言われるくだりがある。吉本はそうだなと内心思っているからそれを書いている。そして買い物籠をさげて近所のスーパーに行き、ホウレンソウを買っておひたしに化学調味料と醤油かけてうまいと言っている。思想家というものがあるなら、そういう生き方しかあるまいと私は20代の終わりに思った。
 山本は30歳過ぎてマラリヤでずたぼろになっていたし、結婚できたらいいなとは思っていてもたぶん内心一生だめかもしれないと思っていたのではないか。あまりに多くの死を見て、自分の生死も踏ん切りついただろう。で、なのにそこでふってわいたように見合いがあって、しかも相手は今のアイドル級の女性。山本はけっこうロマンチストというかたぶん面食いなんでのぼせと諦観があったのではないか。で、結局、女性は山本の生き方を信じた。たぶん、山本に生き方がなければれい子夫人は結婚はしなかっただろう。そしてその後、著述家になるまでは恋愛沙汰ではないがさらに人生の辛酸をなめた。というか、あの時代けっこう普通の辛酸か。
 森有正についてはまだよく知らないことがある。簡単いえばこの人の性欲はものすごい。繊細さとエレガンスみたいな文章に見えるが、実際にはどろどろとした精液のような臭気がある。
 ふとそういえば山本夏彦のことも思った。彼のそういう部分もまた奇妙な陰影がある。
 ま、著作家の著作以外からなんとなく学んだことは多い。学んでどうよというものでもあるが。