晴れ

 天気図は冬型。よくこれで関東はいい天気だなと思うがそういうもんなのだろう。東北とかでは随分様子が違っていそうだ。こうしてみると、日本列島というのは、歴史国民国家の領域としては他の国に比べて、気候風土に随分変化が多い地域にも思える。この域内である種の国民国家の歴史を持てたのも、単的には島だからとは言えるかもしれないが、やはり類例な歴史国家は思いつかない。英国は特に違う。
 そういえば、「日本列島」という言葉に違和感を強く持っていたことがあって、「日本諸島」と考えたことがあった。今でもそれでいいのではないかと思うが、フィリピンなどを見ると日本はまた違うし、朝鮮半島的な陸地の接続というのは歴史に影響を与える。列島はそれなりに列島的な意味があるのだろうが、九州はやや列島的でも四国や琉球弧は違うな。
 いろいろ物思いにふける。twitterにはときおり阿呆なことを書いたりもする。まとまってブログを書く気力がないというか、どうも今考えていることのある要素があまり公開的ではないなとか思うようになってしまった。
 匿名なら書くか、あるいはもっと理解できる小グループなら書くか、とも思うのだが、ネットに匿名というのは実際にはありえない。匿名というのは、実名が出ても、「え? 誰?」みたいな意味しかない。2chが匿名暴きを興じるのは(今ではそうでもないかな)実名との落差が面白いからなのだろう。でも、そういう実名的な社会性のある人は実際にはごく一部でしかなく、そういうドブさらいみたいなゲームもまた終了したか、あるいは別のバッシングになってしまった。それも行きすぎの感があり、停滞しているのではないだろうか。よくわからないが、いずれにせよそういう時代も終わった感はある。
 小グループについてはどうしてもミクシ疲れではないが、人間の重さが出てくる。ネットの良さはその軽さだろう。もう4年を越えてこの日記をやっていて、以前よくコメント書いてくれた人でも見えなくなった人は多い。ふとあの人はどうしているかなと思うが、それはその季節の機運というか一期一会のようなものだろう。私としては、ちょっと誤解されるかもしれないが、「私はここに居ますよ、まだ」みたいな感じだ。だが、たぶん、その私が変わっているのだろう。
 私語りになるが、私はあまり根の部分が変わらない人で、下手すると4歳くらいの自意識を持ったころから変わっていない。でも、変わっていく部分はある。そしてその変化の綾なす他者の関わりというのがある。
 リア充というわけではないが、沖縄でのある意味での隔絶期間(隔絶でもないか)のせいか、リアル的なものの軸足のようなものはあるし、ある意味、現代のようなネットや携帯電話のない時代に人生の大半をすごして良かった面はある。
 まあ、現実にはネットに軸足が重たい人はそう多いわけでもない。が、携帯電話や人のつながりという点では、やはり世界は大きく変わってしまった。むしろ、その意味で、私は、こういうと失笑されるのだろうか、ネットから引きこもっている。