「ある個人史の終焉」からの一連の、私の言及のリスト

 あらかた言い尽くしたのと、それでも基本的に理解されていないようでもあるので、リストにまとめておく。
 
 20071017⇒今日の話題のぶくま - finalventの日記
 20071108⇒この件はあまり言及したくないのだけど - finalventの日記
 20071109⇒微妙に違うなにか - finalventの日記
 20071110⇒ああこの問題 - finalventの日記
 20071111⇒少なくともその手順はないよな、gooブログ - finalventの日記
 20071114⇒最近ネットからそれでも引いているのだけど - finalventの日記
 
 関連
 November 10, 2007 ⇒むーたん
 November 10, 2007 ⇒むーたん
 
 使い方の一例みたいになるけど、たとえばululunさんの言及、
 ⇒タイトル思いつかない - 煩悩是道場

話題を取り扱っている人間という事で言うならばfinalventさんはお気づきになっておられないのかもしれないですけれど、今回の件には弾さんも一度エントリをお書きになられているのでdankogaiが書いてもメインストリームじゃねえよ、なのかそれともたまたまfinalventさんが今回目立っていると感じている中心に「hashigotan、ekken、ululun」がいるからなのだろうかと考えてしまう。

 上のリストを見るとわかるように、私はdankogaiさんにも言及しているので、事実レベルの誤解があり、ululunさんのこのエントリにはそれ以上誤解を深めないために言及を控えるほかない。
 あと、何を言っているかわかんないというぶくまの意見をもらうけど、ぶくまのコメントは基本的にスルーします(実際よく見てない)。ちなみに、私への言及があればエントリ起こしてトラバくれればたいていは受信できる。buyobuyoさんのエントリも読むには読んだ(とくにレスはないです)。
 私は基本的にまだこの問題についてもう一歩踏み込んだ言及をしていない。やや踏み込んだ意見は、コメント欄やtwitterのほうに分散している。わかりやすいテンプレ的な意見は、私をボケボケと評するkurokuragawaさんとかのエントリで満足されればよいのではないか。
 ちょっとだけこのエントリで踏み出すと、いやすでに書いたことなのだが。問題をhashigotanさんという「人」焦点化が進んでいるだけで、hashigotanさん提起の「言説」は、あまり関心が持たれていないように思う。
 別の言い方をすれば、人とのからみのネガティブストロークが煮え煮えになっている空気を理路整然と吸い込みたくない。具体的に言えば、「hashigotanさんがPTSDで、よって、メディカルなケアを受ければいい」というのは、たぶん、hashigotanさんの言説を読んでいるのではなく、そうした類型に対する人への態度、距離感のようなものを表明しているのだろう。hashigtotanさんがどういう人生決定をするかは本人と直接的な関係者の問題で、私には関係ない。
 この問題の一連には、そうした人への態度の距離感の、現代的なネット的なズレがある。私がこの一連で最初に言及したのは、他人の奥さんが妊娠しても(そしてどんな感動のストーリーがあろうが)それは普通の人生の内側のプライベートな感動なのであって、安定期にも達していないなら、無言でよかったねでスルーするべきもの。もちろん個人的にぶくましたいというがあってもいいし、それが1000件ということもあるだろう。でも、この感動を分かち合おうみたいなのとか、それがわからないfinalventはバカ、みたいな展開はありえない。(ついでに、hashigotanさんがそうしたエントリに攻撃したところでそれはhashigotanさんの個人的な言説の活動という以上の意味はない。あるいは、公的に問い掛けられている部分だけが問題たりうる。つまり、抽象化された部分では問題たりうる。)
 あと、finalventアルファブロガーという幻影だけが、敵意の的になっているように、私は思う。でも、この幻影はそう簡単に対処できない。聡明なかたでも、そこが気になっているのかもしれないが。