今朝のtwitter断章、なんとなくtwitterネタじゃないような気がするのでちょっと補足してこっちへ

 不幸自慢のネタはあるけどなんというか絶対に通じないからどうでもいいやみたいな。けっこう普通の人がいろいろ地獄を抱えて生きているのが世の中。でも、それはそれで幸せもあるんだし。というか、幸せというのは論理じゃなくて、トンチみたいなところがある。あははなんでこんなことに何十年も不幸してたんだろって泣いて笑って、別の人生を始めるような。
 ネットを見ていると、バカはどうしようもないなとかよく思う。でも、バカにバカっていうと怒るからつつくんじゃないよバカとかもいろいろ思うけど、正直に自分のバカさ加減も自省する部分は少なからずだし、バカな人もがんばれよ、というか、思う。ただ、徒党を組むのはやめなさいかな。
 自分のバカさ加減は多分に若い気分のままというか幼稚な心性なんだが、心理的には歳を取った感じっていうのはあまりない。ゼロじゃないけど。
 ただ、現在の若い人の世界観はやはり根本的にわからない。というのは今の若い男性にとっての若い女性の魅力というのも実はわからない。ポスターの若い美人女性を見ていても、今の人はこういう女性がきれいと思うんだろうなくらい。
 時代が残していく感性というのはそのまま固まってしまうような気がする。僕なんかの恋愛観というか情感というのはユーミン的な世界だったりするけど、正確にいうとユーミンのそれとは違う。ユーミンは自分からはかなり年上のお姉さん。
 若い人なんてもう金輪際理解することなんかないんだろうと思っていたら、宇多田が世の中に出てきて、その声きいたらお母っさんの声とべたに同じで仰天した。そして、詩の感性は妙にわかる部分があってそれにもぎょっとした。フレディが好きというあたりでのけぞった。でも、わからない部分はわからない。
 死後の世界は存在しないのだが、その想像力も死滅しない。人の意識というのはそういうふうに出来ている。という意味で死後の世界はあるとも言えるわけだけど、そこで人はどのような姿をしているかといえばやはり若い時の姿なのだろう。というあたりも微妙に納得できない。
 母方の祖母の記憶は彼女が 70 歳以降か。ふと考えると 60 代の記憶がないわけもないが。で、若いとき女学校でテニスとかしていたと聞いた。その少女の姿を想起したせいか、祖母の記憶には少女のそれがつきまっている。
 そういえば、ベルト・モリゾの絵(編み物をする女性の絵だった)をずっと自分の部屋に飾っていた。好きといえば好きなのだろう。マネとの恋愛はよくわからないというか直感的にわかる部分もあった。ある意味で女性の欺瞞を糊塗したようにも思う。美しいのだけど、嘘みたいな。