先日方法序説をまた読み返した
岩波の訳がもうかなり前だが新しくなっていた。
読みづらかった。訳者はいろいろ工夫したり最新に近い研究やチョムスキーなども参照しているようだった。
が、こういうと僭越なんだが、もしかすると訳者もデカルトをよくわかってないんじゃないかと思えてきた。
実は、小林秀雄などもよく読めてない部分はある。森有正はそういう部分への感性を持っているのでよく留保する。
西洋の考えの根幹の理解の難しさは、語学と聖書と、あと、なんというのかイスラム的な合理性というのだろうか、そのあたりはパンセでパスカルが格闘している部分で逆にあれでよくわかるのだが。
ハイデガーとか私はきちんと読んだとは言えないけど、彼があの衒学的なギリシア語趣味はむしろ、西洋の考え方の根幹を対象化するツールだったかもしれない。