増田的「俺の代わり」論

 ⇒俺の代わり
 そのとおりで、「俺の代わり」なんかうんざりいるもの。
 ただ、そういかなくなるのが対幻想性というか家族幻想性の問題で、親の代わりがいるとしてみたいな微妙な問題。はしょると、対幻想性において「俺の代わり」はないのだけど、そこがうざいというのはあるだろうし、それが恐いということでもあるのだろう。つまりは、それが恐いということなんだが。
 この世界の誰かが、「あなたには代わりがいません」と呟くのに耐えられるかどうか。そこから逃げたい、死にたいと思うけど、それがつまりは「世界」という問題。いわゆる世界系の世界じゃなくて。
 ハイデガーは世界内存在みたいに言うし、まあ、それもいろいろあるのだが、この問題の根はブーバーの我汝の構造にあると思う。汝のかなたの「永遠の汝」というものが、相互的に「俺」を見つけるかという点にある。
 このあたりで、ブーバーは被造論とは違ったような微妙なことを言い出してはいるのだが。