生きがたさ・生きにくさ

 ちょっと言葉がつたないが。
 ブログとも限らないが、ある種の文学もそうだが、そして、パソ通時代からそうだが、書く人というのは、基本的に生きがたさ・生きにくさみたいなものを持っていて、それを書いてしまう。
 お前がそうだろとか言われそうだが(ちなみにちょっと違ったりもするが、どう違うのか略)。
 そして、そこを起点に世界と戦うというか、世界を代表した人々と戦う人もいる。まあ、自分もそのくちか(ちなみにちょっと違ったりもするが、どう違うのか略)。
 で、でも、言うまでもなく、世界を相手にして勝てるわけもなく、そういう抵抗の語りというのはテンプレ化してくるし、そのテンプレ度が、まさにセクト化してくる温床だ。ようするに、世界と反立する正義というか価値性みたいなものだが、が、というのは、まあ、言い方はなんだが、それはそのテンプレ度がまさに救いようもなく悪魔的なものだ。
 というか、そこで、あっと気がついて半歩退く臆病さみたいなものの感受性というのは、なんというのだろう、まあ、いわく言い難い。