よい文章というのはどうでもいいし

 あと、美文というかいわゆるうまい文章というのも、けっこうどうでもいい。補足すると街中を美男子と美女とか歩いていると、ほぉって思うけど、私には関係ないし、その一般性(一般を引きつけてしまう特性)にうんざりしてしまう。誰が読んでも良い文章は、俺に関係ないよ、ってな。
 では、どういう文章に惹かれるというと、私は2つだろうか。
 
 ・ 無意識の強さが感じられる
 ・ 息づかいが感じられる
 
 どちらも身体性というえばそうだけど、斎藤孝が言うみたいなしょーもないものじゃなくて、もっとエロス的な何かだ。
 そういえば文章というは、それ自体がエロの身体に似ているかもしれない。あっけらかんと巨部露出したようなエントリを書きまくるブロガーがいるし、そういうのに惹かれる人もいるだろうけど、つまらない。
 とか書いていてすでにテンプレ化しているのでどうでもいい(ふと思ったが、私はテンプレ的なところはけっこうさくさく省略してますね。)
 息づかいは、表面的には句読点に現れる。それから、ひらがなと漢字というか漢語だろうか。ひらがなの持つある独自な文体というものがあり、それがもつ特殊なエロス性というのを出せる書き手はあまりいない。
 文章というのは、書きたい内容があってそれが整理して表現技術で表出すればいいかというとそうはいかない。書きたい内容とは無意識にあるし、表現技術とは身体のエロス性のようなものを映し出すことだ。たぶん、そうしたエロス性こそがコミュニケーションの根幹にあるのだろう。