薄曇り、暑くなりそうだが予報では曇り

 ぼんやりというわけでもないし心が鈍くなったという感じではないが、なにかつきものが落ちたとまでもないにせよ、先日来のキーンな感じは抜けている。いくつかの無意識的な悩みが自然にソルブしているのだろうか。夢の少年の赤いチャート岩がきっかけのような気もする。不思議だ。
 昨日の泳ぎはそれほど疲労感に残っていない。明日あたりに来るのかもしれないというか四十過ぎてまいったなと思うのは疲労が一日遅れてくるあたりだ。そういえば、多少脚力が戻ってきた。私は三十代半ばまで街中を走る人だった。今思うとスーツで地下道を走るってどうよと思うが。あるいは歩くときでもジョギング並の速さだった。一緒に仕事をしている人に呆れられた。特に階段は走って上らずにはいられない。これは今でも実はずっとそうなのだが、脚力の低下感はあった。
 これは個人的な癖なんだろうと思うが子供のころから駅の階段を見るとき、頂点をまず見る。そこに重力中心のようなものを想定する。次に身体を流線型的にする、想像でだが。そして、重力中心に向けて加速する。言葉で書くと奇っ怪だが、これを瞬時に行うことによって自分の重力を減らすというか、上方に吸い込まれるように動く。頂点近くなると減速する。エレベーターみたいな感じか。
 昨日帰路で和菓子屋によって菓子を少し買う。支払いのだんになってうかつにもカネがないのに気がつく。どうもnanano、suica生活の弊害か。そういえば自販機をあまり使わなくなった。小銭がめんどくさい。和菓子屋のおやじが後でいいですよとにこやかにいう。なんだか昭和の風情だな。後でカネ持っていくときもおやじがそんないいいですよみたいに言う。今思うと、忘れていてもよかったふうでもあるのだろう。
 そういえば魚屋のおやじともちょいと話をする。先日のイサキはどうだったとか。魚屋は魚をよく知っている。とはいえそれはそれで商売人なので友達ノリではない。ある程度いい魚を買っていかないと魚屋はサポートされないというか。いい魚屋のある街は住みやすい。
 昔、住む町なら、パン屋と豆腐屋とあとなんだったか3つの要素を大切にしていた。もう一つはなんだったか。輸入食材? 魚屋ではなかった。で、パン屋も豆腐屋も難しかった。パンはもうだめだと思い、そうそうに自作としたというか炊飯と製パンはそれほど変わらない。日本人は5キロ単位でコメを買うが私は強力粉も同じように買う。以前にも書いたが、貧乏は粉食だな。豆腐屋についてはブランド豆腐でなんとかなる。というか、いわゆる手作り豆腐屋がだめだなと思うことがあまりに多くて諦めた。そういえば、もう1つは蕎麦屋だったか。これも沖縄から戻ったらだめだった。
 自分の生存区域でそれなりに旨いものが調達できればけっこう幸せというのはある。とかいう反面、ファミレスなどもよく使うようになった。コンビニは入り浸りだ。いつの間にか沖縄生活の生活感覚も薄れてくる。
 そういえば、マコモを久しく食ってないな。焼いてマヨネーズ付けて……マコモは見かけないな。そういえば昨日冬瓜をたくさん見かけた。ソーキと煮るかとか思った。