話題の「雑魚」

 雑魚であることはとってもよいと私は考えているし、私など雑魚だろうと率直に思う。お前雑魚とか言われると、そういうお前さんは雑魚じゃないんだろなとか思うが、これも率直に言えば、雑魚でしょ。
 システムスルー力ではないけど、ある水準のPVのないブロガーはネット上での自己認識がシステム的には正規化されていないし、その偏差の外側に強烈な自己主張というか他者への悪意を出されても、それは違うでしょう。増田や2ちゃんなどでもそういうふうな機能として発現されることはそれ自体が痛すぎでしょう、と、まあ、特に言うほどでもないのだが。
 単純な話、雑魚というのは内容というより、いかにして語り、伝えるかということにもかかっているし、その一つのネット側からのリフレクトとしてPVなどがある。ただ、これもきちんと考えれば下のエントリでも書いたようにコヴァートな悪意であったりもする。
 ただ、それでもなんらかのネットプレザンスがなければやはり雑魚は雑魚だろうし、そこからきちんと正規化して脱雑魚化しない人は雑魚過ぎなんだろうと思う、というか、言葉というのは案外、そうした公を志向する本質的な機能がある。
 ま、とはいいながら、そういうふうにひやっとして見ると、私が私を雑魚と自認するのは奇妙な歪みはあるだろうし矛盾はあるのだろうな。