今日も風やや強しか

 梅雨前の初夏っぽい天気というところだろうか。いくつか予定が自然に流れ、別の流れをすくい上げる。日々のルーチンのなかで、少しずつ大きな流れとして、やはり老いというか人生の課題みたいなものは、言葉でいうよりも大きく見えてくる。50歳までも生きない人々によってそうしたものは先に現れてきたのかよくわからないが、なんとも奇妙な感覚でもある。水泳のこともあるかもしれない。昔なら、これだけ身体を絞るとそれだけのリアクションがあった。今はかなり緩く対話的なプロセスだし、なんといか、身体の奥に固まったものに、静かにねばり強く語りかけるように身体を動かしていかないといけない。意外と年寄りの水泳とかが励みになる。80歳くらいじゃないかという婆さんがすいすいと泳いでいたりする。ああいうふうになりたいものだと、ごく単純に思う。
 昨日は出先で通り雨にやられた。同行者があたふたというわけでもないが、傘を出してくるので、少し待ちましょうよ、この雨はすぐに止みますよといいつつ、座ると奇妙な睡魔に襲われた。そのうち、天気雨となり、世界は美しかった。沖縄の言葉で、天気雨を、てぃーだぶい、という、てぃーだは太陽で、ぶい、またはぶり、は、降りだ。太陽降りということだろう。沖縄では天気雨によくあった。そして、美しい虹をなんども見た。通り雨に引き裂かれた雲の下の海も美しかった。ただ、そうした美に、なにかいらだち、いつかそこから離れた。