世の中心に傷なんかなくてさらっと生きている人もいて
マルコ青年とかそうかな。
まあ、うらやましい限りなんだが、さて、結局、それって「私」が私であって「誰か」じゃないっていう奇妙なトラップのなかにある。
心の傷というかそういう過去の記憶が実際にはイコール「私」という意識になっているし、そういうからくりというか仕掛けでこの社会のなかで自動運動するようにぶちこまれているわけで、なんつうか、その手の「私」が引き起こす各種の問題とか、恋愛とかどさくさで言うわけだが、それって、なんつうか、一種の自動運動なんだよな。
本人とか回りの人間とか、べたな悲劇なんだけど、なんつうか死に目視線で見ていると、あーそりゃ、そういう書き割りでそういうキャラ設定ならそういう悲劇になるでしょ、で?みたいな。
話が違ってきているが。
で、世の中心に傷なんかなくてさらっと生きている人もいて、しかもの能力もあってよさげなんだけど、それて、「私」からすると、絶対に届かない「他人」、しかも、「私」にほぼ無関係な他人。まあ、がんばってよい世の中作ってくれというか、私には関係ないというか。
話が混乱しているが。
そういうさらっと生きている人間って、なんつうか、ツツジがきれいですね、とか散歩して見ているのとたいして変わらん。
あと、あれだ、健康なやつ。
きれいな町並みですなみたいな風景みたいなやつ。
いずれにせよ、ズタボロ系の「私」っていうのはそういう風景みたいな人生は、通り過ぎていくわけですよ。
オチなしです。