春だなぁと思う

 これとか⇒はてなブックマーク - 新生活の役に立ちそうなサイト
 その影響なのか、これが今頃読まれている⇒finalventの日記 - 履歴書のこと
 新生活に役立ちそうな話は、ま、私としては、こことか、極東ブログとかにぱらぱらと書いているが、ああいう書き方ではわかりづらいのだろう。ただ、別に意地悪というわけでもないし、自分が大したこと書いているわけでもないというのもあって、ティプスというかライフハックス的にまとめる気はしない。
 うまく言えないが、生活しつつ学んだことというのは、一行のハックで学べるものではない。貧乏は粉食だよとか言っても、なかなかそのパンの味というのは伝わるものではないでしょ。
 これは謙遜でいうのだが、私は、かなりたぶん、昨今の非モテというのはわからない。ツンデレとかいうのもわからない。自分も恋愛とかは難儀したほうだし、ただ、恋愛というのはお手軽なものではないし、三十過ぎれば、自分の孤独というか死の形みたいのを少しずつ引き受けなくてはならない。孤独ということは、指針がないということだ。マニュアルがないということでもある。しいていえば、孤独に生きた人の生き方からその構えを学ぶくらいだろう。生き方というのは真似ができないというのも孤独という意味だ。
 ただ、そうだなぁ、新生活というと、なんとなく希望、期待というふうに考える人が多いだろうけど、もっと、孤独とつきあえるようになると考えたほうがいいのではないか。自分の美学なんてものは糞だ(なぜならそれを披瀝したい欲望に駆られるからだ)が、ライフスタイルみたいなものは少しずつ確立したほうがいい。
 あまり言えた義理ではないが、人が人に惚れるというのは、ライフスタイルに惚れるのだ。美醜なんざすぐに化けの皮が剥がれるか、飽きてしまうものだ。ライフスタイルのない人間というのはだから浮遊する。それが小利口であったり美人であったりすれば世間はそこに人間関係のような渦を作り出す。でも、それは、なんというかつまらないことだ。私は利口でもないし美人・美男子でもない。誰も私の孤独なんか関心を持たない。それは原点なのであって、よい原点だ。その原点に立てない大人も多いように思うが、わからん。知ったことかとも思う。