ま、タイプでいうのだけど、私は上祐史浩みたいな人が大嫌い

 理由は簡単で、嘘つき野郎だから(ちなみ彼自身がそう言っているのだからそう誹謗にもならないと思うのでそう言うのだけどね)。
 でも、お前だって、嘘つき野郎じゃないかと言われると、ぎゃふん。ま、そのあたりはどっちもどっちだろうか。
 ただ、しいていうと、私は、人を騙すために嘘をつくことはあまりない。というか、もっと言うと、そういうことで利害関係が変わる場というのが好きじゃない。つまり、嘘が意味を持つ場というのを基本的に避ける。
 もうちょっというと、私は、ドンヅメの時には、すべて聖霊に任してしまう、というとキリスト教徒っぽいけど、イエスが立つことに任せる(比喩ですよ為念)。小細工をしない。自動車にひかれて死んじゃうことだってあるくらいな。
 で、と。
 上祐史浩みたいな嘘つき人間はうじゃっと世の中にいる。
 なるべくそういう人間そのものを避ける。
 避けられないことがあるのは、人間力学的な関係の場に置かれたときだ。たとえば自分が劣位。彼が優位。これはもう最悪。不運というしかない。逃げられるなら逃げる。あるいは犬のうんこふんじゃったみたいにあとで足を洗う。
 彼が劣位で自分が優位。でも、彼はすげー嘘つき。これもけっこうまいる。私という人間が隙だらけか隙だらけに見えるのか、嘘つき野郎たちは、私なんか甘いなと舐めて掛かっているのである。脅し野郎とかもそう。ま、実際私なんか甘ちゃんなんだからね、と言うにやぶさかではないが云々。ただ、彼らが気が付かないのは、俺っていう人間は。あ、こいつは嘘つき、あ、こいつはフカシ、と思ったら、なんつうか受け身というかそれなりの昆虫さんの防衛みたいなことはするわけですよ。殺虫剤でしゅっと殺される虫やぷっちっとつぶされて内臓ぐちゃっと殺される虫さんだって、弱弱だけどそれなりに生きる知恵みたいなのはあるのですよ。そのあたり、こいつらホントにわかってねーな略とか思う。
 上祐についていえば、そんな悪人でもないかと思う。悪人というか、騙す人というのは、ある種の魅惑を持っている。ま、それが「悪」ということなんだけど。そして、人はその魅惑に抗しがたいものなんだね。ま、そんなふうにできているのだからしかたがない。魅惑そのものが悪の性質を持っているとまではいえないがまあ。
 なので、この場合は、魅了の対処が実は受け身技の基本になる。
 ネットなんかでも馬鹿馬鹿とか言われるけど、ポイントは対象をネガティブに魅了することだ。つまり、怒っているならそれだけで負けということ。なので、それを内心でこっそり認める。そして、彼我のありかたを考える。悪に魅了されている自分というのをそのまま認める。それに勝とうと思わない。悪はそれ自体が強くて、弱い者の手に負えるもんじゃない。
 つうか、さっきの聖霊防御じゃないけど、そのあたりはあっけらかんと神を信じるように自分の地の部分を信じる。自分は弱くはあるが、本質的に悪ではないんじゃないか、人の関係性に嘘を必要とするほど弱い人間ではないんじゃないかみたいな。絶対的な視線というものがあればそれに任せる(ま、自分が悪であればしかたないがであれば見えるようにする)。