ネットをやっていると理解しづらい憎悪を向けられることがある
わかるようでもありなぜだろうと思うこともある。
お前だってそうだろとか言われそうでもある。たとえば、私がきっこを憎悪していると思っている人だっているだろう。誤解だよといっても通じないのでその件は突っ込まない。また、お前は旧左翼や労組を憎悪しているだろうと言われるなら、そうかもしれない。なので、そのあたりのイデオロギー信奉者から憎悪されるのは宇宙の均衡というものかもしれない。ただ、なんかずれているんだけどな。
ただ、総じて見ると、憎悪の理由がわかり憎いことはあまりない。少し考えるとだいたいわかる。というか、いくつかの理路で考えると単純な結論がでるけど、そんな単純なことで憎悪されているのかと不審に思うことは多い。たとえば、私はブログにアフィリエイトを使っているがそんなことで憎悪感を向けられることがある。まさかぁと思うけどどうもそうみたいかなと思うとき、ちょっと唖然とする。また、私が南京虐殺否定論者だあるいは本心ではそうに違いなとして右翼だと憎悪されるされることがある。まあ、そのかたのほうが私の本心を知っていらっしゃるのは20世紀の左翼の残虐史を考えれば当たり前なんだけど。また、お前なんか馬鹿馬鹿とか言ってくれる人がいるが、私は馬鹿なのになにを勘違いされているのだろう。というか、どっかで私が頭よいと思っていらっしゃるのか。
しかし、そうはいっても、憎悪は愛情と類型のものである。
とすれば、お前の左翼嫌いは旧左翼が好きなのかと言えば、そうだよ。私は、戦後民主主義のなかできちんと生きてきた。ただ頭が悪いので検証しつつそうなっただけのことだ、というのはある。