「大地の牙」

 というのがあった。
 ネットを引いたら情報はある。が、読売新聞の解説を引いておこう。
 事件としては、「連続企業爆破事件」となる。

連続企業爆破事件
 四十九年から五十年にかけ、海外進出企業が相次いで爆破された事件。四十九年八月三十日、大道寺被告らの東アジア反日武装戦線“狼”は、東京・丸の内の三菱重工ビル前に時限式のペール缶爆弾二個を仕掛けて爆発させ、八人が死亡、百六十五人が重軽傷を負った。“狼”の爆弾闘争に呼応して、斎藤和(自殺)らの“大地の牙”や黒川被告らの“さそり”も企業爆破を開始、五十年五月十九日に一斉逮捕されるまでの間、三グループで計十七件の爆破事件を重ねた。この間、四十九年八月十四日には、“狼”が那須から帰京される天皇の特別列車を荒川鉄橋で爆破しようと計画(虹作戦)したが、未遂に終わった。
 この事件で七人が爆発物取締罰則違反や殺人罪などで起訴されたが、佐々木規夫、大道寺あや子、浴田由紀子の三被告は日本赤軍のクアラルンプール、ダッカ事件で、人質と引き換えに法務大臣超法規的措置により国外釈放となった。

 印象的な事件としては、「狼」によるとされる三菱重工ビル前爆破だった。
 昭和48年8月30日、市民生活の場の爆破により、八人が死亡、百六十五人が重軽傷を負った。
 私は、そんな子供でもないせいもあり、この事件は印象深く思った。
 と、「市民生活の場」と私は書いたし間違っているとも思わないが、市民8人を殺し165人に傷を負わせたこのテロ行為の主体は、日本資本主義といったものを敵にしていた。しかし、市民との関係を結果から見れば、ただのテロだった。むしろ、それはいつか市民社会そのもに牙をむくだろうことはあの時代を知る人なら予想できたことだった。
 市民テロを行ったのは青年であった。なにが日本の普通の青年を市民テロに駆り立てたのか。その根は、日本の歴史・社会にあり、それを見つめなければ、それは歴史のなかに蘇生する。もちろん、それは、我々日本人が「反省」するといったものではない。深く問わなくてならないものだ。正しく、問わなくてはならないものだ。
 ⇒東アジア反日武装戦線 - Wikipedia

特徴として、昼間は普通の会社員や喫茶店店員として働き、秘密のうちに活動するという方針をとることで公安の目をくらませようと計画していたことにある。自宅アパートの床下を掘って地下の爆弾製造室を作っていたメンバーもいた。しかし、結局は、思想や主張の内容から目星をつけられた一名に対する尾行捜査により1975年5月19日、芋づる式に逮捕され壊滅することとなった。

 ここでは一名の追跡が意味を持った。ハズレの一名ではなかったからだ。
 事件は遠い昔になったようだ、というのも、中越地震の体験を文集は「大地の牙」と題された。その名前がもはやあの事件を連想させない。
 02年7月4日、連続企業爆破事件で、爆発物取締罰則違反や殺人未遂などの罪に問われた浴田由紀子被告(当時51)の判決公判が東京地裁であった。二十七年ぶりの判決であった。