人生がやっかいなのは聖なる物がときたまべろんちょと露出すること

 世間的にはこう⇒セくらえ管理部 - 真昼からシャセイ日記 - 腰抜けはどこにいっても軽蔑される
 大衆小説だが。

cover
彼の生きかた: 遠藤 周作
 最後のシーンでべろんちょと聖なる物が露出してくる。
 もっとも大衆的な枠組みで書かれているので、「彼の生きかた」の「彼」に聖なる物を読む人が多いのかもしれないし(イエスが暗示されているし)、どう読まれようが自由だし、大衆小説はそれを満たすべき領域がある云々。
 だが、私が思う、べろんちょと露出した聖なる物は、女の本当の性欲といったものだ。普通それを「愛」と読むのだろうけど、私はそこに……。
 こうしたべろんちょ的聖なる物は、不思議なことに腰抜けどものなかに深く潜んでいる。そこに出会うこともない人生もあるだろうし、出会ってそれだと思って人生を誤っていく人もいるだろうし、誤った人生が人生だったなと思う人もいるだろうし略。
 映画「レインマン」にも似たシーンがある。
 
cover
レインマン アルティメット・コレクション: DVD: ダスティン・ホフマン,ハンス・ジマー,勝生真沙子,堀秀行,野沢那智,トム・クルーズ,ピーター・グーバー,ジョン・ピータース,マーク・ジョンソン,ロナルド・バス,ジェリー・モレン
 ただ。
 人が、聖なる物を希求してしまうのは本質的な倒錯であって、普通はそんなものは漬け物石みたいに漬け物にとってただのやっかいな環境であればいいのかもしれない。
 ってか。