龍平とともに Again

 ちなみに⇒「 龍平とともに: 本: 川田 悦子」
 ニュースは⇒東京HIV訴訟の原告、川田龍平氏が参院選出馬へ : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 薬害エイズの被害者で松本大非常勤講師の川田龍平氏(30)が、今夏の参院選に東京選挙区(改選数5)から無所属で出馬する意向を固めた。

 30歳かぁ。
 単著ではない?⇒「 川田龍平と「この国の人権」を考える: 本: 川田龍平と人権アクティビストの会」

 母悦子さん(57)は00年10月に衆院東京21区の補欠選挙に無所属で出馬して当選したが、03年11月に落選した。川田氏は、悦子さんの衆院議員時代に秘書を務めた。

 ⇒川田悦子 - Wikipedia

もともと日本共産党系の団体「日本民主青年同盟」「新日本婦人の会」などに属しており、実際には選挙出馬に際して共産党に、既に擁立を決めていた公認候補を下ろして自身を推薦するよう要請するなど支援を受けていた(ただし川田は共産党の側から推薦を申し込まれたと主張)。

しかし無党派を装うために共産党の推薦要請を撤回し、中村敦夫との関係を強調するようになった。選挙当時、共産党は「共通の政策で共闘する」「共産党を敵視しない」などの確認事項を発表し、独自に「応援」するという形を取り、問題視しなかった。しかし、その後川田が中村との関係を強め、「自分と共産党との関係は初めから一切無い。支援を受けたことも求めたことも無く、向こうが勝手にやっているだけ」という発言を繰り返すようになり、これを重大な裏切りと見た共産党は2003年になってから『しんぶん赤旗』2月7日号にて批判されるにいたった。

 へぇ。

中村のいた「さきがけ」(後のみどりの会議)に近い民主党などの支持も得られず(民主は長島昭久を擁立して当選)、川田は共産の田川と共倒れの形で落選することとなった。
 これについて左翼や共産党支持者からも「2003年に当選した民主党長島昭久は党内右派であり、共産などの『左翼』との共闘を批判している。

 へぇ〜。
 
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