スルー力のもう一つの構成要素

 システム・スルー力は、まあ、言うまでもなく、システム・キッチンとかの和製英語の洒落だが、できるだけ工学的に定量的に考えたいというのがあるのだが。
 モデル性はある。
 たとえば、「スルー力」というと、それだけで引き起こされるベタなパターン化されたリアクションと誤解の一群が存在する(PV至上主義かよ、け、っとか)。
 このあたりは、特定のボーガス・キーワードのオントロジーでスルーしたほうがいい。
 ブログというかエントリの、スルー力の逆というか注目性というか、ぶくまぺたぺた性というかは、基本的に。

  1. 只物情報
  2. 変わったこと言ってるな
  3. そのネタ受けたぱちぱち拍手

 この2、3あたりが特化されてくるのが、真引きさん、うるるんさん、分裂君、ぬーん、という今年あたりから目立つブロガーかなと思う。基本的にこれらの層は75年世代ではないかとは思う。その意味では、古いの部類だろうし、まあ、日本語を書けるという時点で天才でもなければ古い感性になってしまう。(感性は言語で限定される。)
 彼らのと、ちょっと暴力的にまとめてしまうのだけど、エントリを読むとき、すでに前提が要求される。基本情報とそのレスポンスパターンだ。特に、レスポンスパターンが組み込まれて書かれているというのは、いわゆるそこは笑うところだろ的な読み手の共同性が組み込まれているし、そのあたりで、ぶくまぺたぺたが発生する。
 問題は、とあえていえば、こららのエントリが、基本的に、2変わったこと言ってるな、3そのネタ受けたぱちぱち拍手というあたりで、メタフレームにいかに飲み込まれないかということであって、書き手の表現は工学的には無化される。
 ただ、実際に、先のメンツを見ると、そうしたメタパターンとの関係性ではなく、真引きさん情念、うるるんさん天然、分裂君クレバー、ぬーん煽り、みたいな個性との関連があり、そうした個性への友情的な親近感がぶくまぺたぺたの基本にある。
 このあたりのブロガー(とかいう言い方は偉そうだけどそういう意味じゃない)のブログの公的な枠組みというのが一つ可視になってきている。
 まとめると、ある種の再帰的なメタ性みたいのと個性のバランスだろう。
 この上の世代になると、ふと先日の弾さんとbewaadさんの話で思ったが、お二人ともネタ性が薄い。マジだなこりゃというか、必死マジではないにせよ、書かれたことのネタ回帰性は薄い。
 ふとR30さんとか切隊さんとかも思うが、ちょっと微妙。基本的には、人間は生きていると古くなるは免れないのだが。
 あと、左翼チックなエントリというか正義とかべたな、うーむ批判ではないけど、Yamaguchi.netさんののようなべた性というのは、基本的にブログにマスが流れ込むなかで全体としては大きなポジションにはあるのだけど、パスかな。あと、ついでにきっこの日記はどうも仕込みが抜けてから自滅したっぽい(すでに読んでないが)、とついでに、世に倦むさんとかいつのまにか消えた。丸山真男の本が出るらしいが、アマゾンでもその気配はない。このあたりのあっちのブロガーたちも、全体のブログの沈没スレショルドの派生で沈んだのではないか。
 とか書くとブロガー論のようだし、まあ、そういう面もあるのだが、ブロガーのタイポロジーというより、エントリとぶくまのインタラクションモデルから考えている。
 この下の世代の層があるか?