ちょっと違うんですよ

 ⇒おしゃべりSchwaetzerの飲んだくれな毎日

私の先祖は瀬戸内のある島が出自であって、父の世代までは「いとこ会」なるものをつくって、兄弟のようにして付き合っていた。それも「島意識」があるからできることなので、国家意識は微塵もなかったし、だからこそわざわざ島に帰ってそういう飲み会をわいわいやっていた。

 私の父祖が日本という国家意識を持っていたか、その有無については、それほど関心ないのですよ。
 存在と思惟の違いというか。
 たとえば、中国人からは「日本人」と見えるわけです。そういう存在の規定についてなんです。
 で、じゃ、中国人は中国人という意識を持つかというとそのあたりも曖昧になってくる。で、そういう問題ではないのです。
 もともと大衆というのは、その原像において国家意識なんか持ってません。ただ、国家に規定されて存在しているのはあります。
 よかったらもとのエントリ、再読してくださいませ。
 ⇒finalventの日記 - 日経 春秋(10/27)