会社を辞めるということ

 私が二十代でぶいぶいしていたころからもう四半世紀も経つから日本の企業社会も変わったかとも思うけど、観察するにそう変わってもいないようだ。特に、偉い人は生え抜きってやつ。新卒からブリードしてわけで、つまり、そういう境遇だと、会社を辞めるということは、ほぼ、想定されていたという限定だけど人生の終わりを意味する。まあ、リアル人生が終わるわけではないので深刻に考えないように。
 このあたりもご参考に⇒新卒就職をし損なうと一生祟るようです、やっぱり。 : bewaad institute@kasumigaseki(2006-09-05)
 もっとも当時も再チャレンジはできないわけでもないし、奇妙なことに大会社は奇妙な子会社をしこたまもっていてそこから裏口・再投入口があり、それなりにしかるべき人材を調達したりする。傷物、箱書きなし、だけど、これは李朝茶碗ですよ、みたいな。こうした変な入り口は人脈とかでめっかる、と書きながら思い出すに、これはあれだな、いいとこの馬鹿ボンボンとかを掬い取る口でもあるので、このあたりから世間を眺めるとかなり奇妙なものだ。(そういえば安倍晋三なんかもオヤジの秘書っていう奇妙な口から吸い込まれているし。)
 で、それ以外。
 かなりざっくり言うので例外は多いのだろうけど、ま、それ以外は会社を辞めてもどってことないような会社なんでそう深刻に考えることはないんじゃないかと思う。というか別の言い方をすればそういう労働市場に流れ込んだ人にもう、生え抜き系の未来はないっていうか。
 仕事というのはだいたい三年くらいやるとその仕事のコツがつかめる。というか、そんなふうにつかんで人は仕事をしている。それでそこから先は日本の軍隊の古参兵みたいなものでいろいろ生存を計っていけばいいのだけど。まあ、そこまでが五年くらいでしょうか。その五年が退職するまで延々と続くというか、回転ずしのネタみたいに変わっても味はなぁみたいなのが続く。それでなにも悪いことではない。
 もうちょっというと、仕事の技能がつくのは十年くらいで、大学での勉強がそれにかさ上げしてくるともう少し期間的には減るかもしれない。つまり、あれです、つぶしの効く勉強ってやつです。べたな語学とかまいろいろありますよ。
 で、十年たつと、だいたい三十代半ば。
 ここが潮目ってやつです。その潮目まで行かない人生もありだろうけど。
 で、どういう潮目かというと、独立するっていうか自立するっていうか、雇われるという労働者っていうのとどう向き合っていくかということ。
 もうちょっときつく言うと、その頃を潮目にしてなくて、会社に保険かけていると、四十代までの追い上げで学ぶものが減ってしまうんですよ。会社にいては学べないものがあるんです。
 邱永漢先生のこの本は古いけど、大筋は変わらないと思う。

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四十歳からでは遅すぎる―野心家のための方法論: 邱 永漢
 むしろ問題は、その仕事の潮目っていうのは、その他の人生の潮目なんで、魚も豊富な漁場じゃないけど、いろいろあるもの。ぶっちゃけいうとあれなんで言わないけど。
 で、つまり、大きな問題は仕事の選択とか自立とかより、そっち側の問題だったりするわけで、そこはあまり一般論はなりたたない。
 まとめると、二十代だとまだジョブ経験というかではちと足らんのでそういうキャリアというか実力を付けるべき。で、そのころ三十代の潮目を決定的に決めるパーソナルなことをどう見つめていくか、童貞でいくか、と。
 あと、これはどうよとお笑いっぽいけど、読んでおけてば。
 ⇒Amazon.co.jp: 30代に男がしておかなければならないこと: 本: 鈴木 健二
 ⇒Amazon.co.jp: 男は20代に何をなすべきか―"人間の基本"を身につけるために: 本: 鈴木 健二
 鈴木健二先生は知識人にはお笑いの対象のようだけど、こういう普通の説教をする昔の人の話はきいておけ。ま、だいぶ時代ではあるし、10年シフトしてもよさげだが。