同級生……
っていう漫画あったな。紫門ふみの。アマゾンにはないや。別に読む価値のあるような漫画でもないし、絵がまぁ……。あの短編のなかでひとつだけ心に残るのがあって、ダメでやな男とダメでやな女というのが、似たもの同士だよなひひひみたいな、そしてそのままおせっくすだったか展開。まあ、そうでもなかったか。しかし、そういうだめだめだよの沈んでいくだめだめの性関係というのがままある。
小説のほうの「もう頬づえはつかない」はまあふつうにだめだめの男だが(見延典子は北海道の女だったかと思う。北海道の女というのはどうにも私が経験ないだけかもだが色気というか艶というものがないように思う、もっともそれのある京都の女は最悪だが)、映画の「もう頬づえはつかない:東陽一,桃井かおり,奥田瑛二,森本レオ」の奥田瑛二はよかったなぁ。男のダメさかげをテッテ的に描いて、あの泣き崩れるシーンなんかマジ泣けそうだった。桃井かおりはミスキャストな感じはしたな。
もう頬づえはつかない |
私の同級生というのは、つまり、四十九歳だ。はてな的にはババアだろう。33歳だったか切隊さんが同級生の女をババアとか言っていたが、ババアの道、易からず。
そういえば、二十代後半だったか三十代に入ったころか。高校の同級生に連絡をしたことがある。同級会の幹事とかしたのだったか、しかし、会に出た記憶はない。ただ、連絡網とやらがやたら大変だったのを覚えている。みんな姓が変わっているのだ。変わっていないのが二名いて、その一名にみんな結婚してんだねとぽろっと言ったら、彼女、その翌月だかに結婚するとかだった。ふーん。で、一名が残っていた。その一名を私が惚れていたわけではないが、いろいろと青春ぽい思い出のある同級生の一人だった。青学だったかな。さすがにもう結婚しただろうか。知らんな。
私の歳の女は、まあ、フツー、25歳前には結婚して27歳くらいには一子。というのがそろそろ大卒。手が離れるか離れたかというあたりか。日本の女性の閉経年齢は50くらいだったか。いずれにせよ、なにかと、お役目が終わるころだ。と同時に、更年期になるのだろう。
人にもよるのだろうが、更年期というのは洒落でなくきつそうだ。身体にもだし心にもくる。この心にくるというあたりが、私にはちょっとわからないものがある。
文学ではよく女を描くわけだが、閉経と更年期の女というのの関係をうまく描いたのはあっただろうか。記憶をざっとスキャンするにない。
50歳の男にとってもそうなのかもしれないが、50歳近い女にしても意識というのは他者であろうし、閉経+更年期という自己の性的な異和感というのはどのようなものだろうか。多分に他者性をもつと思うのだがというところで、中山ミキを思い出す。彼女は40くらいだったと思ったが。まあ、ああいう感じというかあの心的なリアリティは現代にもあるのだろうが、あまりうまく見えてこない。
日本の歴史伝統からの逸脱世代といえば全共闘世代というか団塊というか、いずれ自分より10歳くらい上の世代の女たちがどうなったかとこの十年を思うに、よくわからない。印象としてはプロ市民のイメージはあるが。あと、オウムに寄せた私の世代からその下十年くらいの世代の女はどこに消えたのか。
女たちが消えるわけはない。ただ、ネットからはまるで見えない。