吉本隆明に教わったことは多いが
その一つは、人はただ生きているということか。そういうふうな表現ではなかったが。
これを読んで思い出した。
これ⇒黒崎夜話: 高い空
黒崎さんのエントリ構造がわからないので、あんこの部分は別の引用なのかもしれないが。
また、黒崎さんにはプロの意識があるようだが。
吉本に戻る。
私が吉本隆明の本を読み出したのは、院を出てからの1983年ごろだ。今思うとネットの黎明期でもあった。
以前にも書いたが私は恩師?のつてで反核署名集めのパシリをしていた。ダイインとかにはさすがに行かなかった。なんとも言えない違和感だけがあり、たった一人取り残され、放り出され、いろいろ考えたなかで、この本、「反核」異論、に出会った。
それから手に入る吉本の本はかたっぱしから読んだ。
ネットで知り合った年上の人から吉本の話もいろいろ聞いた。
戦後史の書かれない部分がうっすら見えてきた。
吉本はこの本の後書きで、本当に書きたい本はこれだけだと言っていた。他は、糊口のためと言い切った。
そのことがよくわかった。その後俺は何年死んだように生きているのか、今でもそれがはっきりわかる。
吉本は、マルクスは偉大だが大衆の一人の命と同じ偉大さだと言い切った。人は平等であるとは多くの人が言う。しかし、偉大な思想と思想家が大衆の存在と等価であると言い切ったのは私には吉本が初めてだった。
ばなながデビュー前だったが、吉本は、「おまえはなにをしてきたかと問われたら、二人の子供を育ててきたというほかない」と言った(正確ではない)。
売文は糊口のためだと言い切って、そう生きて見せた。
三角関係で奪った女房に「あなたの背中には悪魔の羽がばたばたしている」と言われ、その羽を畳んでスーパーマーケットに買い物かごを抱えて日々生きていた。大衆の一人と同じであることは偉大な思想家の最小条件ではなく最大条件であることを吉本は私に教えた。