この一週間くらいか
激務、私事、体調などいろいろあって、かなりネットから距離を置いた、というか、いわゆるメディアから見る世事からも距離を置いた。もうネットの世界には戻れないかもしれないなとも思ったが、どうだろう。よくわからない。
ひさびさにはてなの人気・注目ぶくまなどを見ても、ピンとこない。考えてみたら、私は若い人ではない。若い人の話題にはついていけない。そういうものだ。
子細はわからないが、松永さんカミングアウト問題関連がいろいろあるようだが、関係者には問題の構図は見ているのだろうが、私なぞにはそろそろ見えない。し、私などがどうこう言う問題でもないだろう。
と、話が斜めにずれるのだが。
私は昔フィリピンや中国のアフリカなどの学生と一緒にバイトをした。日本の戦争のことをどう思っているかと聞いてみた。いろいろ得心したことがある。端折って言うと、どの国も平均寿命を見ればわかるが、短い。人生が前提的に短いという世界がそこに愕然とあった。そこで人はふつう五〇年も生きられない。四〇年で二世代変わる。
あのころ80年代だが、すでに戦争のリアル体験の語りのようなものは若い世代には伝わっていなかった。80年代だからというのもあるのだろうが、ああ、世代の変遷というのがあるなと思った。
と、それからは、ようするに日本の戦争というのは、どこでどうあっても、基本的に「語り」の問題であり、語りと生きている各国民の主体とはずれる。ずれは友情とか恋愛とかして乗り越えてみないとわからんところがある。
私が日本人だから日本人はひどいというのは、ただのレーシズムだというのは、多少のインテリジェンスがあればわかることで、そのレベルはそんなもの。では、日本という国としてはどうか、その関わりとしての日本人としてはどうかとなると、これも問題は案外ディテールなのである。アジア・アフリカの人は日本のディテールのほうをよく知っていた。
昨今のネットでの話題というか、まあ、小熊とかがへにょへにょ言っているのとか読むと思うのだが、戦後民主主義という歴史の感触がわかってないのではないか、ウヨサヨ、と思う。まあ、そう超越的に言うこっちゃないが、日本の戦後の歴史が示した日本の姿というものがすでに歴史になっている。そこで、私の父の世代は一生懸命生きた。日本が恥ずかしくないように生きてきただけのことはあったと思うのだが、そのあたりもやはり「語り」の問題となってしまう。